2001年2月28日 禁酒、そして激烈解禁。
一口。たった一口だった。それはまるで魔法の国の。見知らぬ国の秘薬みたくて。
ビールを口に含んだ。ゴクリとやった。全く。無意識で。呑んでしまった。雰囲気というのは恐ろしいものだ。くせというものは、無意識の範囲内にあるんだよな。酷く後悔した。それ一口だったけど、自分自身を裏切った瞬間だった。
ま、これに懲りずまだ禁酒します。ヤケになってウーロン茶10杯くらい飲んでしまった。
「したたか」という言葉。「強か」と、書いて。そう読むのだが。
意味は「強く」とか、「ひどく」とか。「健か」とも書くそうだ。うちの新明解国語辞典では。
「強かに生きよう!」っていうと、なんだか逆な感じするけど。イイ意味ですよ?
「したたか者」になると、その意味はあまりイイ意味にならない。「簡単にはこちらの思う通りに扱えないヒト。手強い人」になる。一筋縄ではいかないから、ある種オモシロイ人物になるけれどな。
めざまし占いカウントダウンが2日連続で当たっている。一昨日は12位でベリーバッドで、あなたの一言で最悪な結末が。と云うことだったが、本当にそうなった。んで、今日は7位でイロイロな仕事でひっぱりだこ。ってことだったが、本当にそうだった。やぎ座の皆さん。明日こそは3位内に入りたいものですね。
2001年2月25日 アンタも姫さまじゃろうが、わしらの姫さまとはだいぶ違うのう。
「DODA宮本電車」を散策に。山手線へ。ソゾロアルキである。
「よし!探すぞ〜!」っと、ホームに下りたら、内回りの電車のドアがプシュー!っと閉まった。その壁にはDODA宮本。目が合う。「オイオイオイオイオイオイオイオイオイ!!」っと、思ったがもう遅い。電車は走り出してしまった。ボーゼンと見送る私。1発で遭遇した。50車両近くあるという情報から、1時間は待つと気合を入れていたので。少しズッコケ。
コリは…追っ掛けるしかねえ!!と、次の内回りに乗り込む。目指すは東京。
新宿駅で、猛然とダッシュ。中央線に乗り替える。コノ時のココロのBGMは「太陽にほえろ」の追跡のテーマであっただろう。「行くぜ、ヤマさん!!」
そう、一足先に東京で網をかけておけば、ヤツはきっとやってくるに違いない。目印は電車の正面についていた、丸く青いプレートみたいのだ。あれが、きっと宮本電車のマークなのだ。宮本電車にしか付いていない筈だ。中央線なら、山手線を先回りできる。
東京駅で待機しようかとも思ったが、ココはヒトツ前の神田にて待機してみようかと、急遽、「神田」で下車。ここで再び「太陽にほえろ」の追跡のテーマである。ホームを乗り換え。
最後尾方向のホームで、カメラの準備。山手線が次々とやってくる。でも、それらにはあの目印がついていない。…さらに2、3台。やり過ごす。待機開始から10分。キタ!キタ!キタ!キタ!やってきた。予想が的中。ドンピシャである。
宮本電車の確保。ホシの身柄確保!早速乗り込む。
…想像していたよりもずっとシンプルで。しかも全部宮本だ。全部。
「ひゃー・・・ほんとに宮本電車だあ」感動で思わず、パチリ。パチパチ。シャッターを押す手も震えギミだ。前に座ってる女性が「変態?」っていう顔。しかし、寝たふり。それを尻目にニタニタしながら、電車は進む。
嗚呼!!この電車にどれくらい乗っていよう。池袋に用事があったので、30分かー・・あっという間だよなあ。客はドンドン入れかわる。大塚・・え!?もう池袋???うーむ名残惜しい。と、下車できず。そのまま再び新宿・・渋谷…目黒…と東京まで。宮本サイクルはいつまでもどこまでも続くのだ。
途中、となりに座った10代の女子2人の会話。
A子「コノヒト…エレ…ファント…カシマシの人じゃない?」
B子「あ!エレカシっつーんだよね?」
A子「なんか、頭とか、キマんねえ〜!とかって、ぐしゃぐしゃする人でしょ?」
B子「そうそう!自分で気にいらないんだか、よくわかんないよねえ」
A子「スタイリストさん泣いてそうじゃん??」
B子「キモイよね?動きとか、しゃべり方とか…スンゲーキモイ。」
A子「なんか、しゃべるとわっけわかんねえし。キモーイ!でも見ちゃう。」
B子「…でもアタシ、スキだな」
A子「あ、なんかオモシロイよね。でもね」
B子「あれ?これって…全部この人じゃない?ねえ?!」
A子「うわ、ほんとだ。エレカシ電車だね?(笑)」
B子「エレカシ尽くめだあ!」
と言ってました。ウムム。みんな乗ってくると一瞬、ビクッ!っとするのがオモシロイ。おじさんとか、男性はじーっと宮本を見てる。女性はあまり、関心が無いのか。ぱっと見てそのまましばらくして、どーでもいいかあ!って具合。
休日だからか東京〜神田がイチバン空いていた。上野〜池袋当たりはオバさん率高し。新宿〜恵比寿当たりは若者多し。田町〜東京当たりはサラリーマン風と旅行者風多し。
空いているところを見計らってポスターに怪しく近づき、またパチリ。ニタリ。いいなあ!!!コノ電車。ずっと乗っていたいが、そうもいかないか。と池袋で下車。
最後にもう一枚、とパソコンを前に横を向いているヤツをパチリ。
結構混んでいたし、フラッシュとかやっちゃって、乗客が「????」とするが、まあ…いーではないか!!タッハハハ!!と笑いながら降りた。結局約1周半の「いい旅、夢気分」だった。
車内風景はそのうちアップします。「ソゾロアルキ」で。いつかね…いつかきっとやるよ!
(自己)満足感でイッパイになりながら中古CD屋へ。インザスープの東京野球プロモ版を800円で。グルーヴァーズのカセット3本を300円で。ウーム安い安い。少し歩いてL.L.BEANが閉店するということで、セールしてて。アレを買った。そう、アレを!ね!
2001年2月22日 何時電話しても居ないって言うけど頭の中で爆音で音楽が鳴ってるから聞こえねえよ
昨日、新宿リキッドルームにゆらゆら帝国を観に行った。
前日に新宿タワレコにてブルーハーツの「ブルーハーツ」ぜってー買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ・・・とドコカノ宗教団体みたく勇んであの気の遠くなるようなエスカレーターを登ったわけだ。僕は。
んで、くるりとか、トライセラとか。爆音で流れてるわけ。あの階。んで、アルバムを手に持って。その「ブルーハーツ」を。ね。
買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ・・・とブツクサ言いながら、ズンズン歩いていたわけ。僕は。
したら、なんか、ゆらゆら帝国のサードアルバム「ゆらゆら帝国V」がさらっと置いてあるさ。そこにさ。パタッと止まっちゃったわけ。あ、そういやあ明日ゆらゆら帝国見に行くんだよなー・・楽しみだなー。なんて、ちょろっと聴いてみっかー!って、試聴しちゃったわけ。僕。
2曲目の「ラメのパンタロン」から、聴いた。イントロで、昇天。
えー!コレは買うしかねえ!ってなもんで、その場で「ブルーハーツ」はお蔵入り。またな。またね。じゃあね!ブルーハーツは絶対買うからね。次来たら、アンタを即買いすっからね。と、約束して。ゆらゆら帝国を買いました。
で、観に行ったわけだけども。よく考えたら、今まで出てるアルバム全部持ってるんだよ。僕。しかも「新譜!」っていう時に。全て。「3×3×3」も「発光体」観て買ったし。なのに、1度もライブに行ったことがなかった。
満員御礼で、ガヤガヤヒトがいた。で、始まった。さらーっと出て来て、ドバババー!!!!っとやっていく感じ。なんだって、エムシー全然ないんだ。曲が終わると、パチパチ…っていう拍手があって、イエイ!っとやるわけでなく、それぞれ自分がチューニングとかするわけです。そのしーんとした雰囲気が何とも素晴らしい。
で、また、超爆音で、アウッ!とか歌って、爆演なんだけど。ベースの髪の毛がスゴイ長いヒト「亀川氏」が無表情で静止して演奏してる。成ちゃんはよく動いてる。あれでも。
亀川氏が今まで見てきたベーシストの中で、イチバン動かず、しかも、弦を押さえる指がチカラ入ってるのか???って思うくらい静かにコードチェンジとかするわけだ。
あの爆演奏の中で。遠くから見てもあの怪しい指の動きを観察し続けてしまった。あやしー。すごく怪しい。
ドラムもグボボボボガガーン!!っていう具合で。すごいカッチョイイ。爆音爆演だから、当然耳はカーンとなり。今もまだカーンとなってるんだけども。
新曲もファーストからもいろんな「ステキサウンド」がイッパイあった。殆どの曲が知っていたもので、嬉しかったのが「人間やめときな」と「ズックにロック」と「昆虫ロック」と「ゆらゆら帝国で考え中」「男は不安定」…
挙げるときりが無いが。ぐっときた。後頭部を電気ノコギリで掠め取られたような。そういう感覚。ギター。カッコよかったな。見に行けてよかった。
しゃべったのはボーカルの坂本氏の5言くらいだ。「あと2曲です」とか…。そういうの。んで、コレで終わりますってな感じで。アンコール無し。それは客も承知。とっとと帰る。
砂まじりのつばをぺッ
焼けつく肌午後のビーチ
水しぶきが頬にピュッ
冷たい! フッと我に帰る
今何? ここどこ?
今何時? ちょっと待って
足を確かめて
すぐに追いかけて行くから
灯台 砂のお城
子供の頃みたい 終わらない夢がみたい
遠くで 誰かの声が
子供の頃みたい 次に来る波はでかい
(砂のお城@ゆらゆら帝国)
2001年2月19日 毎日、朝と夜しかない。
夜かと思えば、もう朝だ。「宇宙でもっとも暗い夜明け前…」イエローマンキー吉井が「パール」でそんな歌詞を歌う。そんな時間にレム睡眠だ。僕は。
今日は「政治家の野中氏を介護した」夢を見た。シーツを取り替えたり、体を拭いたり。食事を手伝ったり。彼はなんだかとても老人だった。そんなことは、どうでもいいかい?
シャトナー研が、またやってくる。こんどは保村大和が超一人芝居をするらしい。あの「Believe」を。去年やったヤツだ。たった5人でやった芝居を今度は保村ヒトリでやるのか。面白そうじゃないか。行こう。ヒニチは3/21〜23が大阪、上本町近鉄小劇場。4/3〜5に東京新宿シアターサンモール。3200円。詳しくはココから
2001年2月17日 ゴミは分別しろ!
下北沢OFF・OFFシアターに劇団「芝居屋坂道ストア」の「あくびと風の威力」を観に行った。この劇団ははじめてだが、作・演出の「角ひろみ」がアプリコットの劇によく客演で出ていたためで。
今回の舞台に客演として「宇田尚純」が出ているからである。私は何を隠そう。彼の大ファンである。オンナばかりの劇団で、宇田氏は光り輝いていた。そんで、めちゃくちゃカッコよかった。宇田氏の真面目演技が冴えまくりであった。こんなに近くで観れるのも、狭い劇場ならではのライブ感だった。
舞台は久し振りだったが。最初、その演技の圧力に何度か押し潰されそうになって、涙が出た。感動というよりも、何か…ヒトの発するエネルギー。瞬発力と言いますか…。
内容は、主人公の心情が自分にリンクしまくるので、観ていて非常にイライラしたが、最後はスカッと。ま、そうならないと、私は救われないので。
2001年2月15日 正直な話率直に言って日本の現状をどう思う?
DODAのポスター。で…で、でかい。でけー!壁に貼るとそのデカさを実感する。B4の8枚分。今まで貼っていた「スイートメモリー君」のポスターが序二段くらいに感じる。パソコンの手をフト休め、ふっと後ろを振り向くと、私と同じように振り向いてる。そいつが。
「やるだけやったら、次がある。」最近、CM。偶然でも見れない。もう終わっちゃったんだろうか。
新宿の地下道を歩いていたら、自転車のとパソコンのポスター。パソコン篇の方が私的イエイ。額にキッチリと収められて。触れる事は許されない。まるで、片思いの気分だ。廊下でその姿を見かけただけで。その日1日が、薔薇色である。その場所だけ、異常なタートルペースで歩いた。
「神に祈るような心境のショット」は、さぞや遠くまで飛んだに違いねえよな。
漫画みたいなソーリ。ゆうひが丘の総理大臣 かよ。「ソーリー!」
2001年2月14日 手作りのティラミスを戴きまして候。
コレは酒に入るんだろうか。酒入ってるか?…食っちった。まあ…セーフ!だな!
エポキシー、だんだんぐっときた。今イチバンスキなのは3曲目の「日和系」だ。
「日和系」 EPOXY
トンネルの赤い灯は 僕等を奮い立たせて
止まない光速
前しか見えてない 一転を望むだけで
真っ直ぐ走る
出口が見えてきた そこには腰据えてる
光が
言えない部分が 重要だとしたら
思い描いたものの 半分と少ししか
表現出来ないくらいが 丁度いいと思い
留める事にした
育てていこう 明日こそ
イェイ 貪欲日和。
一発屋だって いい時もあるんだ
全部言葉を返す
無駄な時間などない ことを願いつつ
失敗重よう
Existence is a great possibilly
which shows a individual character.
Crowds of shoppers flow.
Grasshopper sing happily.
When I 'm bring up,
we find a worthy of praise we pray!
見えない部分が 重要だとしたら
思い描いたものの 半分と少ししか
表現しない事にする すると晴れ間が
頭の隅まで 今澄み渡る
育てていこう 明日こそ
イェイ 貪欲日和
一発屋だって いい時もあるんだ
全部言葉を返す
無駄な時間などない ことを願いつつ
失敗重よう
輝く人に 祈りを込めて
通勤電車では「阿片」を。スゲー久しブリグリ。コクトー。17とかで読んだか。18とか。
中毒者には中毒者で。ドクヲモッテドクヲセイス。いやー久し振りだが、とんがってんなあ。
カッチョいい。
2001年2月12日 反省しても遅い。
「願掛け」のため、「酒断ち」する。禁酒。アイアム ノット ドリンク アルコール。レッツ、SAKEDACHI!文法あってるか?いーや。いつからだって?今日からさ。そうさ。昨日は帰ったのが3時だぜ。
運転とかしたかもしれないぜ。制限速度30キロのとこ、時速80キロくらい出したかもだぜ。絡んだぜ。絡みまくったぜ。災厄だぜ。最悪だぜ。そんなのが今年入ってから何回あったか?だぜ。サケ臭いし。絡むし。願掛けもあるし。体調もあるし。ちょうど良いぜ。アル中一歩手前だぜ。
焦って真剣に「酒断ちしよう」っていうサイトまで行っちゃったぜ。やめるっていう本人の強い意志がないとダメだぜ。と書いてあったぜ。酒のあるところには近づかないぜ。持ってる酒はあげるか、捨てろ!と書いてあったぜ。
「酒断ちは難しい」と書いてあったぜ。ヒトからも言われたぜ。友達なくすぜ。恋人にフラれるぜ。タバコはやらないから、あとは「ノムウツカウ」のなかだと、もうウツとカウしかないぜ。パチンコしないぜ。当たったためしが1度もないぜ。競馬・競輪・マージャン…もどうでもいいぜ。カウは……な、なんとかするぜ。
こないだ、いいなと思ったバンドの名前がわかった。
「EPOXY」だった。「エポキシー」っていう。吉祥寺のユニオンで見つけた。
「ガスバシ」というアルバム。1500円だった。ボーカルの声イイ。「イエ〜!!」っていう声。音はスキ。ドカンといい。スッキリカッチョイイ。機会があればライブに行きたい。
一緒に「NUGGETS FROM NUGGETS」っていうヤツで
「CHOICE ARTYFACTS FROM THE FIRST PSYCHDELIC ERA」っていうのを買った。ジャケ買い。いろんなバンドのが入ってる。サイケっぽい昔の曲がイロイロ入っていた。
15曲目の「(WE AIN'T GOT) NOTHIN' YET 」という「Blues Magoos」というバンドの曲はタモリ倶楽部の空耳アワーで使われたヤツだ。タモリが本書いて、ヒットしてるヤツ。
「なーぜか本出した なーぜかヒットした♪」だ。
2001年2月8日 銀座。
仕事帰りに寄った。伊東屋に行くため。夕方の銀座はアフター5を楽しむOLが盛り沢山で。キレイな恰好の人々がわんさかいた。伊東屋ではダンボール製の筒状のモノを買った。そしてuni-ballのsigno(太字:クロ)を買って、青い封筒を買った。ハサミも欲しかったので、見てみたら「良いな」というモノは1000円以上するので、買わなかった。1000円以下のモノでも良いのだが、寿命が長くずっと付き合えるハサミが欲しい。今自分が使ってるのは小学2年の時に買ってもらったものだ。当時はクラスメートタチが使っている小学生らしい柄の部分が水色とか黄色とかで。自分のはなんだかすごくイヤだったが、ヤツらのハサミよりも数倍切れ味が鋭く、どんなものでも切っていた。そしてなによりもさびない。今も使っている。まだ使えるのだろうな。
伊東屋の嬉しいところはメルシー券がもらえるところだ。メルシー!
でも、今までメルシー券を使ったことがなく、溜まりまくっている。いつか使おう。ハンズの券は良く使うんだけどな。
野暮用があって(何の?)、DODA(ある学生援護会)に電話した。で、その時(代表)が「ちょっとお待ち下さい」と言ったあとに、DODAのCMが流れてきた。保留時間の間、専用の音楽が流れないで、なんと「宮本の声」が聞こえてきた。
「○○したくない、…○○だ。」とか何とか言ってる。ブツブツ、宮本が電話越しに。しゃべってるわけです。一方的だが、宮本と電話で会話するとこんな感じか。と思った。ミニバーチャ体験。ちょっとドギマギしちった。
一方的に言われるから。説法を聞いているような。小学の時に「サンバルカンのイーグル」の声を電話で聞いた時以来の。
で、最後に「やるだけやったら、次がある。…デューダ、新創刊!」何て言われて。もいっかい言ってくれー!宮本!と思ったが、終わってしまった。残念。
2001年2月5日 毎日仕事するって大変だ。
自慢じゃないが、毎日仕事をしたことが今の今まで全くない。月曜日から金曜日まで。毎日毎日。大変だ。普通のヒトはみんなこうやって生きてるんだ。スゴイと思う。
就職活動の年。学生の私はクラスメイトと同じようにリクルートスーツをギコチナク着て。慣れない革靴と、履歴書。
5月。春先から。就職難に喘ぐ友人達を尻目に、授業も受けないで図書館で本を読んだり、ビデオを観たりしていた。ハガキでも書こうかな。と思った頃には遅すぎた。当時はまだそんなにネットが流通してなかった。
ともあれ。私はなんとなく周囲の波に乗って(当然なんだが)就職相談所へ行ったり。新宿のホニャララビルで企業説明会なんかに「付き合い」で行った。聞きたくもないピザ屋の企業説明やら、大型コンピューターを扱う大手企業の営業戦術を聞いていた。
漠然とした不安があった。一応、専門職という道もあったが、それもなんだか腑に落ちなかった。考えてみれば、なんだか知らないが大学生活なんて。今思えば、最低な。最悪な大学生だった。他大学との多目的サークルに入るわけでもなし、合コンやるわけでもなし。バイトに明け暮れるわけでもなし。授業を熱心に聞くわけでもなし。校内のサークルには入って、続けた。それだけだな。こんな学生がいるから、日本はダメになるんだ!というのを人間にしたのが自分だ。
当時はバブルがハジケまくってた。今と同じく超氷河期時代。有名大学出身者であっても。就職難である。7流大学の僕は、しかし何社かの2次面接やらに進めるようになっていた。つっても片手で余るほどだったが。7月だった。卒業論文もあり、外部に出入りしていた為、そちらとの両立も厳しかったが就職活動を優先させてくれるトコロだったので。その点は楽だった。
大学4年の夏。その日もむせかえるような暑さであった。電車の中でなんだか体が思うように動かない。しかし、企業は待ってくれまい。数社を訪問し、パンフレット申し込みの為のハガキをポストに出したりしながら帰宅。家に着いた時には真夏なのに寒くて、暑くて。体がフワフワする。嘔吐。下痢。発熱。41℃。
1回目の診察で研修医が「夏風邪ですよ」と風邪薬と処方。しかし、全く震えは治まらず、症状は重くなるばかり。
後日、再度診察。症状に変化がないのを不審に思った研修医の上司(彼が担当医になるのだが)が「コレは風邪の症状じゃない!」と断言。急遽エコー。肝臓が腫れている。青ざめる研修医。突然襲った「肝炎」。その場で入院宣告。それから1ヶ月間。点滴で体調の回復を待つことになるのだが。
あの時は落ち込んだ。運ねえな。と思った。次の日が面接だったのだ。しかも第1候補の。
病院の廊下にある公衆電話から、キャンセルの電話を入れた時は。バカらしくてやってらんねえぜ。と思った。見舞いに来る友人はリクルートスーツで来る。カタヤ襟がヨレヨレのTシャツに汚らしいズボンで。点滴台を引き摺っての見送りである。それが焦りになった。でも。途中からどうでも良くなった。
2週間ほどして、原因不明の鼻血。丸3日止まらなかった。就職なんて決まらなくてもいい。ともかく、この鼻血さえ止まってくれたら。とうとう左穴を止血。寝ている私の体を看護婦2人が押さえていた。40センチはあっただろうか。あの「ガーゼ」。
そのガーゼをピンセットで摘み。耳鼻科の研修医は恐る恐る鼻の穴に詰めていった。最初は余裕だったが、奥に入れば入るほど、脳髄に突き抜けるような激痛であった。
「こんなに奥にまだ鼻ってあるんだね、かあさん。」という具合である。余りにも痛くて治療してくれているのに泣きながら
「フザケンじゃねえバカヤロー!!!痛てえじゃねえかっ!!!!」と絶叫。とても医者に言うコトバではない。
でも、それはとてもとても恐ろしい、「鼻腔止血悶絶地獄」だった。ヒトトオリ詰め終わり。テープで止められてる我姿を洗面所で見る。情けない。顔は点滴のみで今まで見た事もないほどの窶れ顔。青白く。見舞いに来る友人達も止血ガーゼを見て大笑いであった。
しかし、その悶絶地獄からの回復は早かった。食事もでき、体が軽かった。熱も下がった。退院したのは夏の終わりだった。就職活動はそれからゼンゼンしなかった。リクルートスーツを着ることも1度もない。しかし、なんだか仕事はあって。毎日ではないけども、働いている。
「浮き世離れしてる」と言われる。結局お前がイチバンイイとかいう。でもそうだろうか。どうだろうか。あの時、入院していなかったら。いま出会った人々にはきっと会っていなかっただろうし、違う人生が続いていたのかもしれない。もっと違う人々に出会っていた。そんで、今よりもっとスゲー人生があったのかもしれない。それが運命なのかもしれない。だが。自分が切り開いたのかもしれない。今思うと。今思うのだが。イマサラ思っちゃうけど。そういう意味で私はその点、運がイイか?ともかく、日々働くということは国民の三大義務にもなるくらいだ。働かざる者、食うべからず!だ。
2001年2月4日 ステアマスター15分2セット、筋トレ、スイム1200M。その後、ビヤーと日本酒では意味がありません。
やっと「ねじまき鳥クロニクル」を読了。長かったー…。そして、何とも言えないコノ虚脱感は。なんだー。
「クミコ」は強くない。「クミコ」は弱さの中で薄っすらとした、一点のチイサイヒカリみたいだった。それは最後までずっと続いていく感じだった。そんで、主人公の岡田はアノ話の中でただヒトリ、現実的なものであって。「リアル」であって。
笠原メイは嫌い。
2月2日、金曜日。渋谷ON AIR EASTに「In the Soup」を観に行った。
天井が高くて、会場はゆったりしていた。女性率も多く、なんだか和やかなムード。
開演、イキナリ「川」からであった。私はアルバムの中でイチバンスキな歌であった。ヴォーカルの中尾氏の目がキラキラとという感じでなく、くすんだ蒼っぽいヒカリで薄く輝いている感じがいいなと思った。
サウンドは予想以上に図太く、野性味溢れる感じで、そのサウンドが中尾氏の声帯とうまく調合されているようだった。セットリストはファースト「東京野球」からはもちろん、インディーズ時代の古い曲まで、幅広く、演奏されている具合であった。
長渕っぽい歌詞と、ブームのような具合と。でもやっぱり、このバンド独特のホルモンのようなものがギュンギュン出ていた。客との距離がとても近い感じがして。即興演奏も多く入り、楽しい。コールアンドレスポンスももちろんある。とてもいいなと思う。曲と曲の合間に入るMCも、彼の人柄を感じさせ、楽しいものであった。
真正面から見ていたのだが、メンバー3人が見える中、前のヒトが移動してきた為、肝心の中尾氏が途中から全く見えなくなってしまった為、急遽、横へスライド。壁際に立って、斜めから。よく見えました。
感じたのは、ドラムのヒトがヴォーカルが大好きだ。ということである。大好きで。好きで仕方ねえー!!!っていう「スキだオーラ」が出まくりであった。まるで、石君かトミか。成ちゃんか。それくらい。
コイツの後ろでドラムを叩きたい。コイツと一緒にバンドをやりたい。というオーラがイチバン出ていた。バンドに中尾氏を誘ったのも彼だろう。どこかで読んだが。
この日はこのツアーの千秋楽ということもあって盛り上がっていた。良かった。また機会があれば、見に行きたいと思う。
2001年2月1日 求めないで優しさなんか 臆病者のいいわけだから@贈る言葉
3日連続で呑み続けるというのは、最近「つらく」なってきた。今日は2日目である。ガンバレ自分。