最終埋立地 8月分


2001年8月29日 右へ習えの毎日をKICK OFF!

もう空気が秋だ。昨日からちょっと体調が変だ。熱いなあと思ってたが、最後だし。気合だぜ!とか思って結構寒いプールへ入り、子供たちと遊んだ。帰ってきてちょっとヤバイかなと思う。アザラシの様に横になって古畑任三郎を観てたが寝てしまった。起きると喉の奥が痛い。ウヒー。
7月のゴミを読むとよくこんなのネット上に載せてらあ。と思った。すごく読みづらい。改行とかがめちゃくちゃだ。読むヒトのことを考えないなあ。っていうコノ文章すら読みにくいなあ。読み返したりしろよなあ。そうだ。さっき芸能ニュースで安田成美が映画の宣伝でインタビューされてて、そん時BGMに「月の輝く夜だから」のサントラが使われてた。そう「今宵…」が使われてたのさ。ただそんだけさ。





2001年8月26日 丘を越えて。

昨日、野音に「LSD」見に行きました。
キヨシローが自転車で鹿児島まで行くそうで、その壮行会だったらしいのです。

行くまで、全然知りませんでした。キヨシロと斉藤和義が見たかったのでした。
Hi−5とGOGO7188も出てました。でも遅れて行ったので、あまり見れませんでした。

自転車っていうことで、つなぎにいろんな自転車にちなんだ曲が流れてました。
クイーンの「ばーいせこ、ばーいせこ」がイチバン流れてました。
でも、そのなかで、なななななななななんと、エレカシも流れてました。
そう「べいべーじてんしゃ」でした。それがめちゃくちゃ感動しました。
あと、スタッフの中にいつも宮本のギターを担当してるあのノリの良い金髪兄ちゃんもいました。武田真治もキレのあるサックスぶりを発揮していた。キヨシロは「イエーって言え〜!」を言ってました。小泉の歌のセンスはめちゃくちゃ悪いとも言っていた。「だって、X(エックス)だぜ?」みたいなことを。そんでロック君が代を歌い、「きみがよ〜おれがよ〜」と言っていた。キヨシロはすげくカッチョ良くて最後は大合唱だった。私の後ろの人はほとんどがキヨシロファンで絶叫して「トランジスタラジオ」とか「雨上がり…」とか歌えました。

んで、斉藤和義のTシャツも買いました。エレカシにはないセンスの良さで。
新曲と言われる歌もカッチョ良かったです。

2001年8月23日 「もう眠りはないぞ!マクベスが眠りを殺した!」。

あの回りだ。もうそんな時期か。くそう。
高く積み上げられた小石の山を意地悪な鬼に蹴飛ばされても何度でも積み重ねる工程のように。自分のアレを何度も覆されても、そこから自分を守ろうとしてしまう。

19日、シャトナー研の「マクベス」を観た。保村大和の一人芝居であった。
「マクベス」は云わずと知れたあのシェイクスピアの名作である。しかし、内容を全く知らない自分はそれがどんな話なのかを保村演じる「マクベス」から感じることとなる。一人芝居用に書き下ろされた脚本はシャトナーによるものである。3人の魔女に出会ったマクベスは未来の自分の姿を予言され、その奇怪な運命の波に呑み込まれていく。その姿。その心。は誰にでもある欺瞞や疑念や欲望などで。絶妙なバランスで織り込まれたものであった。

ヒトツヒトツの台詞は時折ナイフのように胸に突き刺さり、時に眠らせ。最後の場面では胸がグーッと痛くなるようだった。少なげな照明も効果音も。保村の熱演ぶりも良かった。
世界に同じ形の建物が3つしかないといわれている、東京グローブ座です。この舞台の形、とっても好きです。いい具合です。山手線に乗ってると見えるあの建物です。

前座でシャトナーが歌を歌うのだが、その時投げたピックが偶然にも飛んできて、戴きました。初めてだあ。舞台から物貰うの(笑)。隣のお姉ちゃんがぼっとしてるんだもん。最前列だったし。後から必死に辺りを探してた数名の熱心なファン様。私貰いました。普通の白いフェンダーって書いてあるやつです。しかも欠けてます。エレカシじゃあ考えられないさあ。あんないい席。振込みが遅れてすいませんって後から振り込んだのに。ちゃんと席を確保しておいてくれた。

2001年8月18日 新大久保駅で逢いましょう。

子供を虐待して河に捨てたアホバカ夫婦。打ち首獄門だろう。晒し首にしてくれ。そしたらもうちっとこんな事件は減ると思う。
心理学者が「あの母親も荒んだ幼少期だったようです。母親も被害者なんです。」とかアホズラして、得意げに言っていたが。バカじゃねえかと思う。そんなこと言ってたら、子供の命が幾つあっても足りねえじゃねえか。それが何になるんだ。誰も救えてないじゃないか。コレから児童虐待はますます増えるだろう。それを「加害者も被害者だ」的な論理で行ったら、人の命の重さなんてまるっきり説けないじゃないか。憎しみからは何も生まれないだろう。だけど感情がある人間にはそんな簡単なことすら受け入れられないんだ。

2001年8月17日 胸がギューっと痛い。

さっき決定した。来年のひたちなか。ぜってー行く。待ってろ来年。誰か一緒に行きませんか!!!!

例えば誰かがスゴイ傷ついてる。泣いている。へこんでる。そういった時に。周りはどうしてやれば良いのだろう。話を黙って聞いててやろうか。一緒に遊びに行ってやろうか。一緒に泣いてやろうか。反論してやろうか。殴ってやろうか。抱き締めてやろうか。笑ってやろうか。同じ悲しみを絶対共有できない。その人の悲しみだから、その人にしか本当に分かってないのだ。わかりますと言われても。ココロのドコかでウソだと叫びたい。誰かが代弁しても、分かった気になっていても。実は全く的外れなのだ。あまりにも簡単に言葉にしたり。あまりにも簡単に裂いたりする。優しいココロってそれかよ?優しさってそれかよ?誠ってなんだよ?本に載ってることは実はあまり役には立たない。歴史のことを悔やんだり。思い出を沢山持ってても。実は結局分かってないのだ。でも、涙は出た。苦しい。その悲しみに共有してるのじゃない。その悲しみを共有できないから泣いてるのだ。どうして俺は何もできないんだ。どうしても。どうしたって、悔しさしかないよ。何もできないから仕方ないじゃん?なんて。死ねよ。ないんだ。何かしたい。何かを犠牲にしたい。何かと引き換えたい。でもそれって自分のMAXを得たいが為だ。なんてつまらない人だ。真の犠牲だ。気持ちの持って行き様がない。やり場が無い。どちらの側からもどちらも分かち合えない。自分の情けなさ。不甲斐無さ。つまらなさ。許容範囲の無さ。ゴールは目の前なのに。サイコロを振ったらまた振り出しだ。成長が無い。モノポリーで言ったら。一家離散だ。破産だ。でも何かに対しての怒りが出てくる。何かに対して憂いの気持ちが出てくる。頭で考えるよりも先に、血の中で反応する感じだ。それを捨てたくない。絶対。万歳。


2001年8月13日 僕が僕であるために。

甘い。考え方とかそういうの全て。自己嫌悪。いやだいやだ。ディフェンスなところがいやだ。「高菜」のことを「こうさい」と読むし。「奥入瀬」を「おくいらせ」と読むし。「弘前」のことを「ひろまえ」というアホブリである。しかも、何度も間違える。何度も聞いてる人に「ダメだ」される。

昔の会報とか読んでて、宮本が恐ろしいくらいにカッチョ良いなあ。思った。な、な、なんじゃこりゃぁ〜!@松田優作。くらいである。写真もどれもぞっとするほどカッコイイ。ただ。いるだけで良いもんなあ。佇まいが素晴らしくステキングである。ビビッテしまい、心臓が痛くなってきた。これホントです。エレカシの何がスキって宮本が好きだ。私は宮本の横顔が好きだ。目も良い。と、ココまでスんゴク誉める。で。仕事をしながら「暑中見舞」を鼻ずさんでいた。
「幸せと〜言えば言える〜俺達の〜憂鬱を〜♪」…。「お前」が憂鬱なんだろが!「俺達」と言うな!あ、そうやって思ってることが憂鬱なのか??。それ。ちょっと思う。

「せせらぎ」の音は逆に爆睡状態にさせてしまう。うっかり寝坊である。

2001年8月11日 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

  中原中也詩集:大岡昇平編、岩波文庫 p.88



おだラジはそっと3年目に入りました。2年もやってたのでした。コレからもやったり、やめたり。します。有名過ぎる詩。なにか古いのを出してみようかな。去年の今日の「ゴミ」は何ともアホなコメントだ。とうとう買ってしまった。ヒーリングミュージック。聞けば今とっても流行っているそうじゃないか。最初、波の音にしようかと思ったのだが、あまり良くないという話を聞いた。イルカの声とかも最初は良いんだけど、段々聴いてると。うるさいだけという。なるほどな。渓流などの川の音が良いらしい。早速。ディスカウントショップ○○にて、1200円で購入。「せせらぎ」である。見ると軽井沢、奥日光などの音をスゲー性能の良いキカイで録音したらしい。聴いてみる。…。渓流を流れる水の音と、時々唄う野鳥の声がとても良い。川の音というのはとても良いかもしれない。ウチの近くではこんな音は聞けないので。皆さんの近くでこんな音は聴けますか????聴けるなら、とてもうらまやしいです。ともあれコレを暫く就寝・起床時のタイマーにしておいてみようじゃないの。

「ヤツ」は今、何を見てるんだろう…。


2001年8月7日 凄じき黄昏。

砂漠の中。地上は楽園。嵐の中。視界は良好。ショパンだろう。ポロネーズの第6番だ。感度は抜群。曲線。体の線。吸い付きたくなるような皮膚。汗。玉のような。突っ込みたくなる。本能のままにいけばいいのだろうが、そうはいかない。平静を保とうとシャワーに撃たれる。刺激がある。目を閉じよう。頬を掠める風を感じる。遠くで電車の泣く音。波は無い。美しい手。美しい時間。美しい言葉。感情を手前に出すことは消して悪いことじゃない。しかし、それを言うべき場所があり、それを言うべき時がある。瞬間。それが宝石になる。感謝されるべきものとなる。大人は勝手だ。人は愚かだ。子供は無邪気だ。残酷だ。青い空が青い。空気は透明だ。流れる血は熱い。刺せば痛い。1985年に君は一体何をしていた?詩や文章はなんなんだろう。心に終っておいたあの言葉をどうして今頃使うんだ。しつこい人は嫌い。そう。あなたは。そう言いたいのだろう。何度も言うだろう。何度も。耳の奥でうねりとなって。埋まってしまうだろう。塞がってしまうだろう。未来の。希望。嗚呼。そんな言葉を。今更。未だに。想像してみてください。そうだ。想像できますか。頭を回転させて。創造してみてください。見て下さい。横から出てきて。違うところを観てください。同じ山を。頂上を目指してるよ。行く道は違うけど。同じ山を見ているよ。そっちのコースは厳しいでしょう?こっちは幾らか楽です。山登りは大嫌いです。運動が嫌いです。あの人はケーブルカーを使いました。すぐ答えを求めたがる。つまんない人。すぐ手に入れたがる。想像だ。創造しろ。妄想じゃなく。階段を登って。踏み台昇降ではないのだ。景色は変わらない。ただ心拍数を上げたって。しようがないだろう。砂漠の中に立ってるのを。気がつけばまだ良いのだが。こんなに書いてもまだ。何も見つけてない。何も想像してない。無意味だ。さあ寝よう。

2001年8月5日 あらゆる思考を呑み込む能力。

一部のモノを触って、その全てを語ろうとする行為は大変危険だ。
また、前置きはその後に続くその人の本当に言いたい事の濃度を薄くさせる気がする。
人のココロを他人が語るは何と難しいことだろう。猪瀬よ。そうだろうか?

どうして三島由紀夫の代表作は「仮面の告白」なんだろう。

大切なものを無くしかけてるんだろう。僕はしらんぷりです。そんで、意味ありげな言葉は実際全く中身がないです。上手く表現ができないだけです。残念ですが、仙台。ひたちなか。行きませんでしたので。

2001年8月4日 タクティス。

鼻。

芥川龍之介の有名な短編小説であるが、私はこの話がめちゃくちゃスキです。特に、熱湯の中に鼻をつけて。特大の毛抜きみたいので、アブラを取るところが大好きです。その場で見たいじゃん。最後の晴れ晴れとしてる主人公も好きだなあ。全部スキだ。芥川龍之介って佇まいがスキだ。ココで、読めます。没後50年以上だと著作権がかからないとかなんとか。

「千と千尋の神隠し」を観た。思っていた以上のよい出来バエ。カオナシのマネが出来るようになった。「あ…あ…」っていうの。後半なんかスゲー盛り上がった。がんばれ〜!とか思った。とても気持ちよく出て来たのに、その足で行き付けの居酒屋は、客がバカ騒ぎしてて雰囲気ブチコワシ。ゴウコンヤロウめ。お前らに神隠しには会わせまい。ブタになれ。

平泳ぎが全くできなかった4年女子2名、泳がせることに成功。

なんだかもっと書きたいことがあったのに。思い出せない。またあとで書こう。

棒を立てる。向こう側にもう1人。影ばかりが大きく感じられ。その姿を見ることができない。