最終埋立地 8月分


2000年8月31日 「あたし、キレイ?」

プール指導員も夏と共に終わってしまうのだが、今年はホントに楽しかった。子供ってカワイイね。ホント。ヒトサライしようかと何度思ったか。誘拐犯タチのココロが少しだけ分かった気がした。泳げるようになった子は数え切れず。「プール楽しかった」って言ってくれれば儲けモンだ。

「クチサケオンナ」の伝説を自分から言い出したのにもカカワラズ、

「いや、コノ辺り。ホントに出るらしいよ」と言ったら、真っ青になってた3年のU氏。あんたステキだよ。
一応。クチサケオンナは100メートルを3秒で走る。ということで。1秒という話もあったが。

それから毎日会うたびに以下のような会話が繰り返された。

U氏「ねえ…ホントにいるの?クチサケオンナ・・」と真剣に心配。
わし「うん。ホントだよ。いるんだよ、ここら。うちらが子供の頃は○○町でよく見たって話だよ。でも、今はココらだって」
U氏「うそでしょ?見たの?」
わし「見てない。そういうウワサあんだよ。」
U氏「走って逃げれば、平気かな?」
わし「う〜ん・・・でもさ、100メートル3秒で走ってくんだから、まず追いつかれんじゃん?」
U氏「チャリンこで、ダッシュすればいいじゃん?」
わし「いや。だって、すげ〜早えんだよ!まじで走ってくんだもん。」
U氏「いつでるの?何時に出るの?」
わし「夜中。12時くらいって話だよ」
U氏「なんで知ってんの?」
わし「あのね。うわさでね!聞いた話だよ」
U氏「じゃ、いないんだね?」
わし「い〜や、いる!!」
U氏「・・・・・・」(無口アンド顔面蒼白)

・・・・クチサケオンナも休むヒマがないようだ。←コンナイメージか??


2000年8月28日 優香の「はやくぅ〜…」っていうカーセンサーのCM、めちゃくちゃかわいいんだけど。どうしよう。

昨日のクズ文はサイハテへ。あんなもん…ケッ!!

明日で夏休みのプールが終わる。すごくサミシイ。仲良くなれたあんちきしょうタチと別れるのは辛い。

ウタダヒカルのコンサートに先週行った。チバマリン。遅れていったのだが。駅から遠くて、途中で帰ろうかと思った。まず、カイヒンマクハリが遠いんだ。東京駅から。なんだあの遠さは。マリーンズファンはよくあのミチノリを文句も言わず通えるなあと思う。偉い!フランコ〜!!神宮でも遠いなあと思ってるのに。

ウタダヒカルは歌が上手かった。有名な曲しか知らなかったが、ホントに上手いなあと思った。ウタダヒカルは現物5ミリくらいだった。ちっちゃいなあと思った。臨場感があまりなかった。エレカシならもうちょっと大きいのになと思った。途中で尾崎豊の「I LoveYou」と山口百恵の「プレイバックPart2」を歌った。尾崎豊を歌ってるときイイ声だったし、コノ曲も良くてぐわ〜っときた。尾崎豊の「僕が僕であるために〜♪」という歌が最近スゴク良いなと思った。あの歌いい。

30分以上遅れたけど、楽しかった。3時間くらいやってた。最後に花火もあがったしなぁ…。エレカシがスタジアムでライブやったらかっチブーなのになあと思った。椎名林檎の真似もしてたけど、似てた。帰りもめちゃくちゃ混んでて、死ぬかと思った。駅まで行くのに40分くらいかかり、家に着いたのは0:00過ぎだった。

週末はゼップでゴスペルのライブだった。チケットは当日券が30分で売り切れてしまったそうだが、なんせ参加人数が1200人という大量出荷だから、スペースあるわけがなく(出番以外はフロアで見てる。しかし前の方にイスが並んでいて、そこには参加者は入れないだから後ろだけ、異常にヒトが多かった)。ほとんどチケット発売の意味なさない気がした。

出番は最後から2番目で、このチームが180人とかいうトテツモナイ人数で、私は最後列の真ん中で指揮者なんか全く見えなかった。ゼップのステージの裏のほうとかちょろっとみた。歌ってる途中からちょろっとみえたステージからは、客席の客の顔がダンゼンバッチシ見えた。後ろのほうまで。エレカシも民生もみんなこんな感じで見てたんだろうかと思った。ライブは成功。どのチームも150人体制でやってて、それだけでもスゴイパワーだった。180人の白シャツ・黒ズボンは圧巻。残念だったのはエレカシ白シャツが当日見当たらず、あにえすべーになってしまったこと。

このHPを見て見に来てくれた人がいた(「観に行ったよ〜!」っていうメイルで知りました)ので、スゴク嬉しかったです。ありがとうございました。また、クリスマスのシーズンにやると思うので、宜しかったら見に来てください。

 カローラに乗っていこうよ〜♪@真島


2000年8月26日 イロイロ書きたい事が溜まってます。しかし。今はコレをイチバンに書きたいので、コレを書きます。

K−1ファイター、アンディ・フグが24日、35歳で死んだ。

深夜。知った瞬間。頭の中が真っ白になった。
「嘘だろ?」思わず出たコトバだ。夢なら覚めてくれと、ホントに思った。スキだった。大好きだった。

高熱、倦怠などの異常を訴え、検査により「急性前骨髄球性白血病」と判明。緊急入院。
アンディ本人にも告知。
記者会見に出席すると言うアンディを押しとどめ、彼の口頭によるメッセージ(22日)を配布する。配布したその日の午後、容態が悪化、あっという間の死だった。
全身からの出血。前頭葉の出血。胸部にはカビがはびこり、意識はない。
ついに、心臓停止。仲間、恩師の呼びかけに彼は3度も蘇った。4度目。ドクターストップにより、死亡が確認される。
強靭な肉体と、それを実現させる為の不屈の魂があった。そして、日本を愛する外国人だった。日本を好いていてくれた。彼は死ぬなら日本で死にたい。そして、日本で火葬にして欲しいと言った。最期。音になったのは「アイラブユー館長」だった。
アンディが最期に伝えたメッセージはこうだ。

『ファンの皆さん、突然このような状態に私が陥ってしまったことで、大変ショックを与えたかと思います。私自身、ドクターから症状を聞いた時は非常にショックを受けました。
しかし、私は自分が今陥っている状況をファンの皆さんに告げることで、ファンの皆さんとともにこの病気と闘っていきたいと思います。今度の敵は私がこれまで闘ったなかでも一番の強敵です。しかし、私は勝ちます。ファンの皆さんの声援をパワーにして、リングの時と同じように、最大の強敵に勝とうと思います。
10月の大会は残念ながら出られませんが、日本でこの病気と闘い、いつの日か必ず皆さんの前に現れたいと思います。がんばります。押忍』

アンディ・フグ
彼は最後まで、闘う人だった。闘うことで生きることを許されたのかもしれない。

96年にK−1で初優勝。決勝戦ではマイク・ベルナルドを見事に破った。劇的な勝利。彼はヒーローになる。
「カカト落とし」は彼のトレードマークとなる。電光石火のような一撃に、敵はむしろ天国を見るだろう。
マイク・ベルナルドに。フランコに。ホーストに。破れた時、彼は蘇ってきた。倒されても、何度でも彼は戻ってくるのだ。
その場所に。限られた人間しか行きつくことのできない。あの素晴らしい場所へ。あなたは想像できるか?
私はそれに酔い、憧れた。

24日。25時過ぎから急遽、フジテレビで追悼番組があった。それを見ていても、全く信じられなかった。

ピーター・アーツのインタビューのシーン。アーツはいつもの笑顔も、勇姿も何もなかった。
戦友の死に動揺を隠せないただの人間だった。彼は泣いていた。彼は泣いていたんだぜ。
「彼は俺の親友だ。絶対忘れない」アーツのコトバでやっと。死んでしまったのだ。と実感した。同時にどっと涙が出た。
悲しかった。悲しかったんだ。早すぎる死。早過ぎるじゃないか!!

アンディ・フグが見た世界。アンディ・フグのいた世界。その場所。その精神。その肉体。その全ては私のココロの中で死ぬまで燃え続け、決してなくなることはないだろう。絶対忘れない。絶対。

2000年8月21日 
暴力って理に適ってたり、つじつまが合ってたり、同情的である必要ないだろ。苦痛のみが全てを司る。
師匠と弟子。

師匠、スゲーヒト。スゲーヒトだ。尊敬ブリブリ。スターウォーズのオビワンみてーだ。霞食ってんだろうなぁ…。

2000年8月18日 ミッキー安川。

差別しないようにしたいものだが、やっぱり、どうしたって差別してるよ。何か差別してる。
具体的に何を差別したということじゃなく。そういう感覚があるなと。絶対してないって云い切れない。しないようにって思ってるんだけど、してないって云えない。情けない。

実験用のグッピー(5匹)とヒメダカ(10匹)もらった。ついでに掃除屋タニシ(2コ)、ミズクサも。
今、玄関でバケツに入ってる。ヤツらの豪邸はもう先客(金魚:通称「オバーチャン」)がいるのだが、同居して。もらいます。二世帯住居だ。モータが壊れて動かない。ので。明日まで仮設住宅にいてもらう。

オバーチャンには悪いけどさ、ここ、コンクリートジャングル東京には危険がいっぱい。だし。知らないもの同士肩寄せ合うってのも、彼女にはイイリハビリになるだろう。年寄りのヒトリ身は。キツイよ。ヤツら若い世代だから。

私は「イチゴ世代」だった。バッチリその世代の生まれだった。

昨日の「風と虹のバラード」は「虹と雪のバラード」であると。

   

スライムがあらわれた!!!!


2000年8月17日 涙をこえていこう な〜くした過去に泣くよりは〜♪@涙をこえて

合唱コンクールというのがあった。
課題曲とクラスごとの自由曲。1年は中学も高校も課題曲が「校歌」だった。

中1の時の自由曲は「空駆ける天馬」だった。自由曲の指揮者をやった。緊張し過ぎて指揮棒を振る手が早くなり、ピアノ演奏も早くなり、私を見るクラスみんなの顔は「早え〜よ!!お前!!」と目をぎらつかせていた。しかし、幸か不幸か準優勝した。

中2の時は課題曲は忘れた。自由曲が「遠い日の歌」だった。掛け合いで。カノンがベースだったようだ。クラス担任が嫌いだった(大学卒業したての「熱血教師」だった。ヤツの想像してる青春を強要されてるようで嫌だった)。ホントに今もキライ。思い出して・・やっぱりキライだ。

中3の時は課題曲が「大地讃唱」だった。自由曲は「フィンランディア」だった。どっかの国の曲だ。

高1の課題曲は「校歌」自由曲は「鉄腕アトム」だった。
担任のこれまたバレー部の熱血教師が「いいじゃねえか!コレやろうぜ!!」とヒトリで盛り上がっていたが、生徒たちは誰もついていかなかった。高校バレーの審判もしていた。バボちゃんのキャラクターグッズをやたら持っていて、生徒たちはそれらを「バボネク(バボちゃんネクタイ)」とか「バボジャー(バボちゃんジャージ)」と呼んでいた。

高校生で真面目にアトムを歌うのはかなり苦痛だったが、ウケは良かった。みんなが爆笑していたが、歌ってる方はイカってる顔で歌ってるので、そのギャップがやってて面白かった。半ばヤケで歌ってるクラスメイトタチ。今も歌える(空をこえて〜ラララ・・)。

高2の時は自由曲が「時代」だった。中島みゆきだ。
クラスゼンタイ仲が良かったので、非常に真面目に取り組んだ。協力的だった。曲にも助けられた。担任も熱血っつーよりも、中学生日記の南先生みたいな感じで、さわやかに熱い先生だった。この先生は好きだった。

その時、私は合唱コンクール委員(というのがあるわけさ)だった。否応ナシに盛り上がり、見事優勝した。嬉しかった。壇上に登り、トロフィーと、賞状を受け取った。
トロフィーを貰ったのはこの時と、キヨコーセン(わかるヒトにはわかる)で3人しか出場しなかった100Mコンメで3位になったときくらいだろう。

高3は課題曲が「大地讃唱」だった。自由曲は「マイ・ボニー」だった。
この時も合唱コン委員になってしまったのだが、自由曲を決める時、ウラコーサクした。なぜかというと、自分が2年の時、3年のあるクラスがこの曲で優勝し、その高いレベルに惚れ込んでいたからだ。
候補はもう1つあった。「虹と雪のバラード」だった。サッポロ冬季オリンピックの歌だ。

挙手による採決が行われたが、マイボニーは1、2票差で落選していた。私は考えた。そしてもう一度数えるフリをして票を工作した。今考えれば、ホントに数え間違いだったかもしれない。どうしてもマイボニーをやりたいという思いから、そうなったのかもしれない。いやそうなんだよ。やったよ。だからなんだってんだい!!結果、マイボニーに(したんだよ!)。やりたかったんだよ!

しかし、このクラスの結束力は皆無であり、事態は困難を極めた。2年のクラスのような団結力はなく、冷め切っていた。当時、ちょうど教育実習生が来た。彼は放課後の練習にも付き合ってくれるような(これまた熱血だった)素晴らしいヒトだった。大東文化大だったか。英語の担当。授業中。ドイツをヒトリで旅行した時の写真を見せてくれたりした。(強制収容所の写真だけは、よく覚えてる)彼の実習期間は練習期間であって、研修終了後の本番はわざわざ観に来てくれた。女生徒へのウケはかなりなものだった。

歌は本番もどうかと思った。失敗したな。と正直思った。
たとえ「虹と雪のバラード」だったとしても、同じような結末になったであろう。問題は曲ではなかった。
本番終了後、虚しさが突き抜けた。「高校最後でコレかよ・・・」
虚脱し、舞台裾へ引き上げ、席にもどる階段を降りたその時。
まったく仕事をしなかった(ような)、同じ合唱コン委員が「お疲れ」と握手を求めたのだ。
その瞬間、それまでのつまらん練習の日々が一気に流れ出し、私は泣いた。
階段でクラスメイトが全員私を見つめていた(ように思う)。


2000年8月11日 宮本のラブシーン放送日がおだラジの1周年。そりゃそうだ。


今日で、「おだやかでラジカルな日常」は1周年。

1年前の今日。その日。宮本がテレビドラマに出演し、ラブシーンをやってのけるなんて、想像もしなかった。つくわけない。なわけない。そりゃそうだ。

来年は2周年だ。その時。宮本は何してるんだろう。エレカシ宮本は何と立ち向かい、闘ってるんだろうか。私はその時。何を思うんだろう。その時。私はまだエレカシを好きだろうか。アイシテヤマナイダロウカ。

10年後、このHPは存在してるんだろうか。その時。何か手応えを感じてるんだろうか。その時。生きているんだろうか。
その時。まだエレカシを好きだろうか。

あのヒトにQueenのYou’re My Best Friends を送りたい。傍で歌ってやりたい。
あのヒトは官能的だ。あのヒトは何て優しいんだろう。
あのヒトが「助けて」と言えば、この時間でも車を走らせてしまいそうだ。あのヒトは遠い街にいるけども。
運命はたくさんの出会いで、あっちゅうまに変わる。いや・・運命なんてない。絶対。運命的な出会いかもしれないけど、運命じゃなく、必然だと思う。ミエナイチカラが動き回ってて、神様が将棋の駒を動かすようなもんだ。オセロみたく、ウラをひっくり返したりして。それも偶然じゃないような、神様にも必然が作用したから、そうなるんだ。宇宙では光速でモノゴトが動いてるのだけども。

2000年8月10日 絶句。悶絶。怠慢。疑心暗鬼。

2000年8月9日 過去を振り返るナサケナイモノデアリ、理解不能な文を羅列する。と思う。

酒を呑んで。明々後日にイカメラなのに。確認の電話で「体調はどうですか?」と訊かれ、「もう、ダンゼンバッチシです!」と言った。最近はクスリにタヨラナイセイカツをココロザシテイタ(つもり)。

21の時、入院した。ひどく荒れていた。ような気もする。でもあれは酒が原因ではない。これはそうだ。そりゃそうだ。
自分自身が「こりゃだめだな」と思ったのは、健康になった後だ。これについてはまあいい。18くらいのシ。

はたらきつづける

うごき
ねむり
ながれていくもの

―――

いちはやく
ひとのこころをよみとることができる
いいことなんかありゃしない

―――

そんしてる
そんしてる人だ
あれは、せかせかしすぎている
よゆうをもとう
時間をながめよう

―――

もちあげる

力のいる
ココロの力のいること

「子供だから」と、バカにしないで



例えば、ゆっくり喋る人もいるだろうし、機関銃のように喋る人もいるよ。それは誰にも止めることはできないし、どちらも正しいんだ。どっちも間違ってるんだ。僕はわりと話の結末を出したがるタイプだから、こうなんだよね?と、先回りしてしまいがちだ。それはいけないよね。


―――


大変ですね?とか。このHPは1日に大体50前後のヒットがある。見に来た人はドンナコトを求めて来てくれるのかはわからない。でも、「ナニカアルカモシレナイ」と思ってもらえたらいいと。でも、なんもないのだけれど。不安だ。不安でしょうがない。コワイし、眠れない。響いてるのか、届いてるのか。そう思いました。

手応えがないから。反応があればイイのかというワケでもないのだけども。大変だ。けども。その前後の文章は「弱小サイト」と。言ってる。そんで馬鹿にされる。弱小サイトだけども。個人サイトがタマシイ入ってないという具合で、それは。そのコトバは。前も書いたけど、個人サイトが「自慰行為」と考える人が。特に日々の雑記を書き記す管理人(コレは一般的に言って)に対して、そういう言い方する人が。そうだろうか。参加型HPは自慰行為ではないのか?と思って。個人サイトが「自慰行為」なら参加型はサシズメ「乱交パーティー」というのは?どうだろう。だめ??ダメだ。そういう言い方はいけないのだ。私の好みは「私をスキな人」になるんだよな。結局。そういうのはべらせてさ、イイ気持ちでいたいだけだよ。たまに叱られたりしてさ、メソメソでしょ?なんてバカな発想。幼稚。結局。自慰行為。慰められてさ。泣きながら舐めてもらってるっつーかね。でもそれがないと生きていけない。

笑点のこん平が「あたしにゃ〜難しい話はよくわかんないけどねえ」というのと同じで。「それいっちゃ〜話は終わっちゃうよ」って。ラクタロウの意思はそこで強制終了だ。ラクタロウはそんなのオカマイナシで言いたい事を言うだけだろうけども。ある種ラクタロウはこん平をバカにしてんだねありゃ。そりゃそうだ。ウタダヒカルのHPを「自慰行為」と言うだろうか??

2000年8月8日 やっぱり、ショーグンはオッチョだった!!!!

ナツノスイエイシドウノゼンハンガ、キョウシュウリョウシタ。23日まで子供たちとシバシオワカレ。最初、小学校はどうかと不安だったが、それだけ遣り甲斐もあり、充実してた。いや、まだコレからも続くんだ。もちろん子供たちはかわいいなあ〜と思った。かわいいのよ。これがさあ。ハナジ出したりするけどね。こんなシガナイ水泳指導員でも、仕事の充実感はあるものなのだ。初日に水に入るもの嫌がった1年生もT氏も、今日はバタ足まで進化していた。得意顔に、わしはえびす顔。ヒラの足がアオリアシになってた、4年生のA嬢もダイブ上手くなっていた。後半が楽しみ。よしよし。大〜きくなれよ!@マルダイハンバーグ。

ゴスペルの発表会@ZeppTokyoでやる。宣伝。
GOSPEL NIGHT 8月26日(土) Zepp Tokyo 
開場17:00開演17:30。入場料2500円。多分8団体。

1グループが大体3〜4曲。ケッコウな曲数だと思う。


ゴスペルに興味あるヒト、合唱隊に興味があるヒト、はたまたヒマナヒト。いらしてください。

いや〜・・会場広いからねえ。客少ないと寂しいのねんのねんのねん。

2000年8月5日

「フレンズ」見た!最後の予告。宮本のキスシーン&ラブシーン。楽しみにしてたので、嬉しい。きっとやってくれるに違いないと思ってたので。来週は必見だ。
そして、和久井っちのあの口をきゅっと結んで、へのじ口にしてる顔がスキ。あの顔が得意なんだろうな。オオスギレンの演技も。山口は汚らしい日焼けの仕方。キカイで焼くとああいう感じになる。

濱ちゃんの部屋がスキ。あのシンプルな部屋。ベットのまわりの家具も、すごくいいよね。あの部屋の感じがスゴクスキ。濱ちゃんの部屋のシーンになると、画面に近づいてみてしまう。

お仕置きよ!!

編集王って、ドラマ化すんだねえ!!しかも「カンパチ」役にネプチューンの泰造かよ〜!キャラっていっても、裸になるとこくらいだろう?オレはあのマンガホントに思い入れがあるから、意に反したら、速攻文句言うんだろうな。登場人物全てにタマシイが入ってるから、どのキャラも大好きだ。
特に「マンボ好塚」「仙石」誰がやんだろう・・・ああ・・誰がやんだろう・・。この2人の役をコナセル俳優がこの世にいるんだろうか・・。土田世紀の描く人間て、どれも泥臭くて、かっこわるくて、愛すべきキャラ。かっチブーだ。

HOME