2001年9月30日 偏頭痛がするのに、更にアタマにキタ話。
ローズへの敬遠。なんだありゃ。勝負しろよ。アホ〜!!!!AHO〜!!!!!!!!
「ローズはいつか外国に帰るし、王監督の目の前で、56号を打たれるのは耐えられない。」とかいう。アホアホピッチングコーチ。名前なんか怒りで聞くのを忘れたが。おのれは巨人シンパか??王監督は「あとは、選手に任せている。」だよ。アホ〜!!AHO〜!!ダイエー。サヨナラ。こういうアホ魂だけは、捨てろ。王監督も怒ってみろよ!!男気見せろよな。ダメー!。そんなことすんなよ〜!イチローはどーだよ?イチローに対して、アメリカ人が敬遠するかあ〜??誰もそんなことしてねえじゃねえかよ!アホ!!それより、記録が出れば、相手チームのファンでさえ、スタンディングオベーションしてんだぞ〜!!!!!アメリカ人は大嫌いだが、大好きだ。こういうところが大好きだ。外国から来たよそ者。なんてこと。全然してねえじゃねえかよ。スポーツだろ!記録を塗り替えらても、また塗り替えせよ!!ディフェンスやってんじゃねえよ!それぐらいの器量見せろよ。アホ!AHO!!!ローズの気持ちを考えろよ。敬遠されたあとのローズの怒り。痛いほど伝わってきた。バットを空中で振り回して。勝負しろよー!!!!!アホ〜!!!ローズがどうして日本に来たのか、知ってんのかよ。あいつはなあ、向こうで無理矢理はじき出されたんだぞ!!スゲー打てたのに。アホマグワイヤーのせいでな!あいつのせいで、活躍できたのに。こっちきたんだぞ。そんで、今年、記録55号出して。あと3試合で。それを塗り替えようと。燃えてる男に対して。その。やり方。プロじゃねえんだよ。アホ!長嶋のフィナーレで感動してる場合じゃねえんだよ。
2001年9月29日 前頭葉の出した決断。
昨日は、新宿LOFTにライブを観に行った。バンドはMOST、ナンバーガール、DMBQだった。
MOSTは辛かった。久し振りのライブだったのに、パワーを2/3ほど持っていかれてしまった。ボーカルが女(オバさ…ゲフンッッグフッ!)で、シャウト系なんだけど、男だったら、もっと良いような気がする。
曲が全部同じに聴こえると思うバンドは初めてだった。なのに、すごく長くやったような気がした。後から知ったが、このイベントはこのMOSTがプレゼンツで、招待でナンバガとDMBQがきたらしい。しかし、ほんとに辛かったなあ。座り込みたい気持ちを必死に押えて。ナンバーガール。
初だったが、こんなか?と思った。CDを買ってまで、聴きたいとか思わなかったが、ライブがあるなら行ってみたいなと思った。演奏はすごく良かった。客のノリがそんなに良くなかったなあ。曲もあんまりやらなかったが、MOST後だったので、少し元気になれた。ギターの女の人はギターが上手く、カッコ良かった。ウワサ通りのだった。
DMBQがきた。パワーは全開になった。
増子さんの髪の毛はすこぶるカッチョいい具合になっていた。盗まれた3本のギター・ベースの代用がされていたが、どれもみんな綺麗で、使い込まれていたギターが懐かしかった。もう観れないか。
Equipmentから始まり、Mama song、Magical Relation、Exchange Blues…と曲は進んだ。Halationをやらなかったのが、残念。Flashbulbはきっちりやっていた。2、30分くらいやってた気がする。また少しアレンジが変っていた。
松居さん、龍一さんは動物的な動きをしながらだったが、ギター上手かったー。時折かわいらしい。
よっちゃんは激烈フェロモンドラミングをスッピンでやっていた。「化粧してないから、ライト当てないで〜!」と叫んでいた。増子さんが、メンテナンスをしてるよっちゃんバイクが故障して、ライブに遅れたのだ。
そのせいで全体が遅れてしまったようで、よっちゃんは「増子さんが悪いんです」と言っていたが、すっぴんのよっちゃんはそれはそれはステキングだった。
最後、増子さんは金色の草原を歩くナウシカの如き、客の上に立ってた。そんで、
「みんな落ち着けよ。ちょっと。いいから、そこに座ってみろ。体育館座りしてみな。」と客を全員座らせた。
ちゃんとみんな言われた通りにした。それはメチャクチャアホな空間であったが、おもしろかった。後方の高くなってる最前で観てたので、障害が全く無くてそん時は良く見えた。一瞬だったけど。
その後、曲は続いていて。増子、松居、龍一の三つ巴になり。絡まり三人がドテッと倒れたので、一斉に客は立ち上がった。そんで、増子さんは「星ってこんなにキレイなんだなあ…」と言っていた。頭を強打したようだ。
その後も何回か客にダイブし、後ろまで転がり込んで、後方の客と混じって、ステージを眺めていた。暫くそこにいたら客に「早く帰ってきて!」と言われて、すごいスピードで戻って行っていた。こないだのライブから随分空いたけど、やっぱDMBQは良いー。元気を貰った。無性に色んなライブに行きたくなった。
ヒロシマやナガサキの悲しみを繰り返さないで!と反戦を訴える。しかしそうだろうか。それよりもパールハーバーを2度と繰り返してはいけない!と反戦を訴えたら。響いてくる音も違ってくるんじゃないだろうか。西田シャトナーが言っている。全くそうだなあと。頷くしかない。アフガニスタンにいる子供たち。は。ニューヨークにいる子供たちと全く変らない。あなたのすぐ隣りにいる小さな命と同じだと。
ヤクルトはM3。長嶋・星野は引退。
午後、30分ほど横になった。速達がやってきて起された。エレカシライブのチケが届いた。体の半分が違う色に変ってるような気がした。この30分の間に見える世界が半分変ってしまったような気がした。
2001年9月27日 そしていろんなことが思い通りになったらいいのにな。
アレ。は財産だと思う。アレの作り方が下手なほうだと思う。調子に乗ると。いつもとんでもない方角に向かって行ってしまったりする。さて。一人押し問答。木に向かって話していた。夕陽がほっぺを照らす。秋風。虫の声。そろそろ行くべきだろうか。後からぞっとして、謝ったりする。ひとつひとつの信号は。小さく。わかりずらい。しかしそれも。今となっては。笑おう。どうかどうか。教えて欲しい。守りやまじないは。奥深くまで求めていいのだ。そうさ。情熱の花を。咲かせたくて。咲かせて。それからどうなるかは。今は。少ししか。想像できないけれど。どうかどうか。浅い呼吸しかできない。この僕に。どうかどうか。あなたの愛を。あなたの。何もかもを。いやはや。あなたは。とても熱心だ。そして。とても弱々しい。
2001年9月25日 無力。
最近のテーマ曲。
無理すんーな 無理すんーな 呼ばれたーら ハイ!お返事
無理すんーな 無理すんーな 僕はかしこい よい子です。
ケンカーはしませんーイジワルーもしませんー
みんなとぉー仲良くーすすんでぇしまぁすぅー。
なんちゃーってなんちゃってー その気もないのに 無理すんなー
あばれはっちゃく はなづまりー おいらは花の落ちこぼれ。
デジカメを買った。こんなんとー こんなのとか。やってみた。
2001年9月24日 いったい何時からぼくが死んでいるのかだれかぼくに教えて欲しいよ。
40000を踏んでしまった。ボカーン。
自分自身にあーくーしゅー。シェイクハーンズーシェイクハーンズ。
40000かあ。次が50000。長いなあ…。
ネタはねーがあー。なぐごはいねがー。
30000ヒットした時、本当はHNを替えるつもりだった。本名に戻そうかなと。まだHPを持ってなかった頃、ほんの一時だが、苗字を使って書き込みをしていた。でも、「HNをつけるのは常識だ。」みたいなことをアホPC系雑誌で読み、考えた源氏名が「ウーハン(武漢)」だったのだ。
しかしこれ、街中で呼び止められると、え??じゃないかい?そんで、30000ヒットなんて当時は夢のまた夢だった(2000ヒットとかそれくらい)ので、「それくらい行ったらHNを苗字に戻そう。」と密かに考えていた。
しかし、エレカシHP界隈(掲示板等々)で同じ苗字を使ってる人を発見。しかも、下の名前も使ってる人がいたので、だみだあこりゃ。と。しかも、ウーハンがしっくり馴染んで。愛着が。こんなHN、誰も使わないし、すぐ憶えてもらえる??ようだし。いつも「なんで、ウーハンなんですか?」と初めての人に言われて、それを肴にその人とコミュニケーションが取れるような。気が。する。それにもう、めんどい。どでもいい。いや、まだ望みは棄てちゃだみだ。ガッツだ自分。
飯島愛のドラマの後半15分くらいみた。内容なんて知らないが。ニューヨークの街。ワールドトレードセンターが映っていた。胸がぐさりと淀んだ。どこか体に傷をつけたい。それを見る度に戻れるように。蘇ってくるように。まだ2、3歩しか。歩けてない。
2001年9月22日 前歯へし折ってやる。
くるパーモードでいこう。
弾圧。不安。戦闘。友愛。無関心。偏見。平常心。ありがとありがと。噛み締めてる。暇はない。時間は一方向ばかりに流れていない。ストイックになる必要もなし。さめざめ泣くことなし。体の一部は前とは違う。愛は深まる…か。疑問は解消されたか。前に進めば進むほど、森は一層深くなり、太陽は見えなくなってきた。立ち上がる勇気なぞ。砂塵が近付いてきた。
2001年9月20日 友達になってください。
くるパーモードでいこう。
アホや。わいはアホや。日本一の大バカもんや。わいはサルや。プロゴルファー猿や!!
「王様のレストラン」がフジ専用チャンネルみたいのでやっている。このドラマ大好きなのだが、エンディングテーマでびっくりした。なんと平井堅が歌ってる。このドラマは95年だから、5年前。最近売れたが、もっと前から才能発揮してたんだなあ。リアルタイムで観てた時もうまいなあと思っていたけど。無名だったのか。
自衛隊派遣。気が重い。ホントにこれでいいのだろうか。良いなら良いのだ。本当に良いんだとしたら。モノゴトが光速で進んでいる。
アメリカでもとりわけニューヨークは近代アートが盛んだけども、テロ事件以降、全土が「報復」に向けて動き出してる中、反戦をアートで訴えるアーティストが跡を断たないという。歌や詩や愛が悲しみを救うというのだ。それを新聞で読み、今日テレビを見ていたが、そんな報道はイッコもなかった。
本当に「ほぼ全てのアメリカ国民」は報復を望んでいるのだろか。
テレビは同じような内容を何度も繰り返す。どこのチャンネルを回してもどこもみんな同じだ。ビル崩壊映像が減ってきたと思ったら、今度は主犯格と推定される人物の分析や戦略分析など。これは過去どこかで見たような感じがしてきた。 国内で数年前起こった無差別テロ事件の主犯格となる人物と彼が率いていた宗教団体。加熱報道。煽りだ。あの事件で沢山の命が犠牲になってしまった。
プラスにもマイナスにもなる報道。これが今世紀版の新しい戦争の別の顔じゃないだろうか。映像はリアルだが、「視覚」というのは「考える力」を奪うのじゃないだろうか。自分にそのチカラが残ってるのだろうか。そのチカラは育っているのだろうか。不安で仕方がない。
2001年9月18日 幕末純情伝。
昨日夕方から、デモ行進を見に行った。参加したと言いたいところだが。急遽お願いして、行った。
デモ集団は国会図書館を通り、国会議事堂を横切り、総理官邸を掠めて日比谷公園に行った。デモ行進は進むにつれてどんどん規模が大きくなり、最終的には400〜500人程度にまで膨れ上がった。
色んな団体が集まって、異様な光景だ。個人で初参加も多くいた(ようだ)。旗がひらめいていた。学生もいた。ネットで宣伝して、それを見て参加表明をした人も多かったようだ。
今回は当たり前だが、報復措置反対運動だった。もちろん。
戦争反対。報復では解決にならない。私達は憲法を守る。支持すんな。…シュプレヒコールは何度も叫ばれ、拳は何度も挙げられた。 報道陣がカメラを回す。フラッシュが何度も光った。警官が警備し、万全な体勢だ。国会前の交通を警官が止め、集団を移動させる。 どこの交差点も車がライトを光らせて通り過ぎるのをじっと待っている。重要拠点地域。こんなことでなければできないなあ。交差点のど真ん中を移動した。
国会議事堂をまじまじと見たが、日も落ち、下からの照明がバーッと当たってる様子はホントにこれが国会か。と思った。小学校の社会科見学で入った事がある。こんな印象じゃなかったのだが。
結局、途中で集団から離れてしまったので、その後どうなったのかわからない。
シュプレヒコールの中で「平和になるまで頑張るぞー!」っていうのがすごく印象に残った。「頑張らないと平和にならないのかー?」と思った。
よく「頑張れって言われるのは嫌いです」という人がいる。私はわりと好きです。頑張れと言われるのが。ど根性だかんね。心無いがんばれーはどうかと思うが。日本の文化に感じる。良い意味でもその逆でも。大丈夫。とその奥では言ってるようで。「お前も頑張れよ」と言うのだけど。話が反れた。
そんで、感想としては。うーん。これもちょっと違うかな。ということだ。もっとぐわーっと自分が熱くなるかと思ったのだけど。想像してたのと違った。でも、何もしないよりはいい。が、その言い方も個人的な満足感だけかな。この経験は貴重だったと思う。機会を与えて下さった人には果てなく感謝である。
国内でデモが起こってほっとした(国内ではこれが2つめ)。何か1つの問題に賛成があれば、反対もなければと思う。そうじゃなきゃ、人間の形をした案山子集団じゃないか。平和至上主義っぽくなるかな。キレイごとっぽくなるのかな。選択肢は多く。スナフキンみたくなれれば、どんなにかいいだろう。自分はどうだろう。あなたはどうだろう。どんな状態が平和だろう。
この1週間、何かしようとやった。数は少なかったが。あとは?神に祈りたくてもどこの神に祈れば良いのだろう。署名か。献血だろうか。それでココロはキレイになるのだろうか。アメリカでは輸血センターがどこも長蛇の列らしい。集められたその血を。敵とされる人々の為に使われたらどんなにか平和だろう。
2001年9月15日 終わる恋じゃねえだろ。
ウーン……。いろいろ書いてると。固定されたくない。まだちょっと。「知る」ということが先で。多分、「見て・聞いて・知るだけ」が今回の成果になるかと思います。偏りがちになるのを恐れてます。どれも間違ってない。色々な人の意見は聞きたい。手探りだけど。自分でやれる事はとりあえずやってみようと思ってる。あと数日でこのモードも小さくさせます。ニューヨーク市長も言っていたじゃないか。「市民がいつも通りの生活に戻る事が先決だ」と。
2001年9月13日 まるで熟しすぎた果実。その実を落とすための風を求めている。
悪いヤツをやっつける。悪いことじゃない。しかしそれが本当の悪魔だったらの話だ。自分にとっては悪魔だろうが。魔界の片隅で彼はヒーローだろう。しかも人間によるものだ。しかも私と同じ体内には真っ赤な血が流れているのだ。テロ行為には屈しない。それは絶対だ。コレからまた沢山の命が悲鳴を上げるかもしれない。その時には正義の行為が悪魔の行為に変わるのではないかと思う。何をすれば良いんだろう。もっともっと知らなくてはいけないのだろうか。絶対参加なんかしたくない。手には洗っても落ちない真っ黒い血がつくだろう。9日に書いたマクベスの台詞。が。リアルに響く。
2001年9月12日 走り出したら、もう誰にも止められないんだよ。
昨日のアメリカ・ニューヨークテロ事件。テレビに映ってる光景はまるで映画のワンシーンのようだった。昨日はあまり感じなかった。現実じゃないみたいだ。あの貿易センタービルが崩壊する時、煙がたちこめ。その向こうからゴジラでも現れそうな感じだった。
NHKのキャスターが「全く信じられませんが、これは現実の映像です。」と何度も言っていた。そう、それくらい信じられない光景だった。
無差別に人の命を奪う。無差別テロ。1度に沢山の命が奪われる。その場に居合わせた偶然だけで。テロってなんだよ?何か得るものがあるのか?何が良くて悪いのか。なんてあまりにも単純な問いを、21世紀になっても解けないでいる。コレは果たして正義か?有罪か?
私がテロ組織側だったら、勝利の酒に溺れるだろう。しかし、あのビルに私の愛する人がいたとしたら?テロの全てを潰したいとココロの底から願うだろう。
「政治と宗教」が複雑に絡まり合う世界中の様々な争いの中。平和ボケした自分は、テレビの光景に胸を痛めても。次の日にはドトールで昼食を買い、仕事帰りにビヤーを呑んで。ウォークマンで宮本が「死刑宣告さ!」と怒鳴る。
しょうがねえじゃん。何にもできねえんだから。関係ない。と、50%の自分が思う。しかし残りの50%がやり切れない悔しさや悲しみが突き抜けてくる。どうしたらいいんだろうっていう焦りみたいのが。このチャンス。
少しでもパレスチナの情勢を知ろう。少しでも危機感を持とう。どうしてこんな恐ろしく卑劣で残虐な無差別テロを実行したのか。そこまで突き動かす衝動や怒りはどうして生まれたのか。自分の命と引き換えても、国の為に尽くすその精神を。アメリカはコレからどうするんだろう。日本はこれからどうするんだろう。なにか大きなうねりみたいなものにドンドン吸い寄せられているような。「悲しみだけで何も考えられない」ではなく、見つめてなければ、簡単に振り落とされるぞ。
2001年9月10日 3000の声を持つ女。
手が滑ってフォークを右の掌に刺した。ちょうど生命線のところ。角が2本のフォークだったので、穴が1つボックリ開いた。戒めだろう。誰かがちゃんと見ているのだ。殆ど血は出なかったが、奥深く痛みが残っている。「鉄コン筋クリート」で、最後にクロが自分の闇の心を掌に封印したように。多分このキズはこれから先、数十年消えることはないだろう。見る度に思い出すんだろう。左手の甲には中学時代に自分で刺したエンピツの穴が開いている。鉛の黒さは未だ消えない。
2001年9月9日 千の心を持つ男。
何という手だ、これは?うわ!自分の目玉をくり抜きそうだ!ネプチューンが司る大海原の水なら、この両手の血を洗い流せるか?いや。俺のこの手は逆に、あの広大な海を血で染めて、青い海は一面赤くなる。
(マクベス:西田シャトナー訳)
2001年9月8日 第62大吉。(浅草寺観音籤)
昨日、7日に知人と浅草に。小旅行した。もちろん、日の出桟橋から出ている船で。エレカシパオの会報通り。浜松町から出ている船に乗った。
12あるという橋をくぐり、レインボーブリッジや両国国技館などを隅田川から眺め、浅草へ。平日ということもあってか、人はまばらで、外人かお年寄りしかいない。
知人が腹ヘッタ〜!と言い出し、急遽アサヒビールのあの建物へ。あの中うんこみたいなオブジェがある建物は中がレストランになっているのでした。サーバーを使って自分でジョッキにそそげるサービスがあって。それをやった。美味かった。
腹ごしらえをして雷門へ。仲見世通りをふらふらし。浅草寺へ。お参りした。そんでおみくじを引いた。したら大吉だった。すげーびっくりした。いいことあるぜ〜!と言ったら、知人は震えていた。なぜなら知人は凶だったから。
大吉とかは持って帰っても良いのだけど、凶とかは結んで帰った方が良いと書いてあったので、知人は結んでいた。私はカメラに収めて財布に入れた。
知人を慰めながらマルベル堂に。どうしても欲しかった三島のブロマイド。探したらあった!速攻買った。あとは斉藤由貴と原節子を買った。ツービートとか、たこ八郎とか大場久美子とか欲しいのは沢山あったが我慢した。美輪明宏のも欲しかったのだけど。なかった。残念。
で、花やしきに行きたかったので、入った。あと1時間です。と言われた。でも入った。ジェットコースターに乗った。あとはお菓子の家の乗り物と石君たちが乗ってた白鳥のやつと、パンダの乗り物。園内を一周する乗り物。それで満足してしまった。
客よりも従業員の方が多く、暇そうにしていた。みんな話していた。みんなつまんなそうだった。すごい寂しい場所だった。凶を引いた知人はクレープが不味いと言って3口くらいで捨てた。良いことないよ〜と泣いていた。慰めた。20分くらいで出てきてしまった。
それからフランス座の前を通り、舟和のいもようかんを買い。知人の家に行った。三軒茶屋。
次の日、つーか今日。凶を引いた友人はホントに風邪を引いていた。コレから仕事なのに…と泣いていた。熱があった。病院行った方が良いよ。と慰めた。こんな時に遊びにきちゃってゴメンねと言った。
駅まで一緒に行った。美味しいよと言われたカフェで朝食を取った。知人とは別れた。点滴をしたようだ。大丈夫だろうか。
その店を出て、渋谷に向かった。井の頭線に乗り換えようとした。でもタワーレコードやってるかなあ…と方向転換した。したら目の前に背の高い髪の毛が加藤淳みたいな人がいて、手には白洋舎のビニール袋を持ってる人が歩いてた。もじがじで…とフラフラ歩いた。
スクランブル交差点で信号待ちをした。少し横から観察した。どうみても加藤淳だった。信号が青になった。センター街に入っていった。どうしよう。これじゃストーカーだよ…と思い切って駆け寄って
「すいません。加藤淳さんですか?」と言った。したら
「あ、加藤淳です〜!どうも〜!」と手を差し出してくれた。びっくりして。思わずガッと握り締めてしまった。
手は大きく、柔らかく、温かかった。すごく温かい。大きな手だった。
「どうしたんですか?今日は。こっちの方向なんですか?」と聞かれた。タワーレコードに行くつもりだったので、
「ええ、こっちに用があるんです。でも…加藤淳さんだ。本物だ〜ホントに白洋舎に行くんですね。」と持っていた白洋舎の袋を指差した。したら
「えええ。そうなんですよ。ええ。行くんですね。出しに。」とビニール袋を見せてくれた。
「私、加藤さんのファンサイト作ってるんですよ」と言った。
「ああ、そうなんですか?゛カトジュン同盟゛ってやつですか?」
「(笑)いや、あそこじゃないんですけど」
「ええそうなんですか?何ていう名前なんですか?」
「あ、加藤淳サイト…っていう…(一緒に歩いてしまって)すいません」
「ええ。良いですよ。ええ。ああーそうなんですか?したらヤフーとかの検索エンジンで見つかりますか?」
「多分…はい。」
「そうですかー。ええ。…」
「はは。いやー本物でびっくりした。でもほんとにすいませんでした」
「ええ。ええ。フフ。…あ、じゃあ私はこれで・・」
「あ、すみませんでした。ありがとうございました。」
っていう風にしばらく一緒に歩いて会話させて頂いた。やっぱ馴れ馴れしいなあと思いつつ歩いていたので、タイミングを見て別れたかった。したら加藤さんから「ここで…」と促してくれたので、あの角で別れた。颯爽と白洋舎に向かって去って行ってしまった。
サインとか写真とかとんでもない話。多分加藤さんはこうやって毎日街中で色んな人に声掛けられてるんだろうなあと思うと。申し訳なく。スターでもなんでもない(自分の中ではウルトラスーパースターだけど)、普通の人だ。ほんとにイヤだろうな。と思った。
本物は思った以上に紳士な。ジェントルマンだった。ホントの紳士淑女はこうやって相手を不快にさせない、やさしさを持った人だろう。握手で昇天だった。すごくびっくりした。
あんなにステキングな。あんなに加藤淳な人。やさしそうだった。信じる者は救われる。ファンサイトやってて良かったよ。タワーレコードなんかどうでも良くなり、帰ってきてしまった。やっぱおみくじは当たるのだろうと井の頭線で思った。
2001年9月6日 淋しい苦しい どう思われようともう一度会いたい。
DODA電車とかの写真をスキャナーで取り込んだ。赤羽散策の時のも。赤羽の方はまたじっくり。身の引き締まる思いだ。きゅっと肛門に力が入る。それくらいがちょうど良い。
2001年9月4日 LOVE涙色。
松浦亜弥。4月のデビュー以来、三人祭への参加など着実にファンを増やしてきた彼女の3rdシングル。つんく♂の作詞作曲で、ちょっぴり切ない少女の恋心を歌ったナンバーだ。ちょっぴりだよ。ちょっぴりだけ切ないの。はは。プロモみたらほんのちょっぴり大人な感じである。サードシングルらしいなあ。影ながらファンです。MDで聴いてるよ。トロピカ〜ル恋して〜るを。結局それしか知らないんだけど。林檎ちゃんとCharaとCoccoとJames Iha と斉藤由貴と一緒にね。イヒヒヒ…。
無印で「MUJI LIFE」と言っていつもタダでくれてたカタログを1つにまとめたものが200円で売っていた。黒棒とメイプルクッキーを買うついでに買った。
美術館とか、展覧会なぞで売ってるカタログ並みの重さ。ずしりとくる。コレが200円。チラチラ見てる。無印ダイスキッ子としてはかなりのヒマツブシ君になる。いろんな色が出てくるレインボーペンみたいの最近買ったのだけど、とっても良いです。あとはシャツなど。夏物はセールされてるのでこの時期に買うほうが得な気がする。
今欲しいのはゴムフレームの壁掛け時計。3500円だ。これは秒針がムーブメントなの。このシリーズはみんなムーブメントです。その方がシブイでしょう?うるさくないし。あのカチっカチっがないから。寝てる時とか気になるのだ。あれ。すごい追われてる感じするから。あと高くて買えないけど、硬質パルプできたストッカー。イチバンでかいヤツ。6800円。キャスター付きが良い具合。
あと中国茶がいっぱい種類でてる。あと12月に出る予定のコーデュラナイロンのMDプレイヤーポーチ。袋に穴が開いていて。そこからコードを出せるようになってる。コレ便利じゃんか。1000円ナリー@コロ助。高いか安いか。…高いなあ。このシリーズモノ(コーデュラナイロン)はどれもイカしてます。
という具合に楽しい。200円で。夢の世界。ワールドオブドリーム。
30日間漂流してた奇跡の人。石君にスゲー似てる気がすんだけど。
2001年9月1日 英雄の終わり。
弱いことというのはそんなにダメなことだろうか。よく「ニンジンが嫌いだなんて。世界には水も飲めない子供たちがいるというのに。贅沢だ。」とか。そりゃそうなんだろうけど。その時はニンジンが本気で嫌いなんだから。50億いれば、50億通りの悩みがあるわけで。
その重さっていうのは不確かなものだ。ドコに重きを置くのか。正しいとは限らない。上手く言えないが。強くなりたいよ。そりゃ。だけど出来ないよ。例えば「あのひとみたい」な風には。1つの軸では、こちらのヒモはとても短く感じるだろうけど。とても長くてもそれが一体なんになる?軸を変えてみようとは思わないのか。強くなりたいという具合に生きていてはいけないだろうか。そうやってもがいてはいけないだろうか。打ち震えてしまってはいけないんだろうか。自分で自分を抱き締めて。耐え忍んではいけないだろうか。ああなりたいと懇願してはダメだろうか。
それでもあなたは。それでも僕は。その人を指差して笑ってみて。それを弱いと「ダメだ」して。自分を強く見せる。それがホントに弱いのじゃないのだろうか。何に返るとしても何も無い方が良い。最後には。今はまだダメだが。あと30年位したら。黙って立っているだけで。抱き締められるくらいの。