最終埋立地 1月分


2001年1月30日 カナマイシン。

しゃべり場1期生の「創ちゃん」がスゴクやーな感じでいたのだが、それは彼が自分に似ているからキライだったんだなーと思う。自分のやーなところを見せつけられてるという具合で。なんだかホントに。話してることとか、その思想みたいなものが。まるで10年前の自分だ(今もそうなんだけども)。で。1期生の後半には彼が実は自分とゼンゼン似てなくて、スゲーいいヤツだ。ということを理解し、最後には自己の醜態に顔を覆い隠したくなるのだが。合同しゃべり場の時には1期生のタッパの大きさには心底驚いた。安心感まであった。
そんで、寺澤や前島に異常に反応してしまうのも。彼らが自分とはゼンゼン違うところにいて、自分には無いステキングなものを感じているからだと思う。ああなれたら良いなあというヤツです。

エレカシ宮本に異常に発情してしまうのも。松本大洋に執心なのも。鴨川つばめにココロを捧げているのも。タモリ崇拝も。三島由紀夫の文章の先に思いを巡らせたり。アコガレとかそういう自分にはマッタク無いトンでもなく、「トテツモナイヤツら」に強く惹かれてしまう。天才フェチなのも。結局はそういうところから来てるのだ。単純だが。天才がスキだ。

夕方、平蔵と散歩をしていたら、信号待ちで自転車に乗ってキタク途中の女子高生2人組が、
「あのイヌ、ちょっとアブナクなーい?@語尾上がる↑」と云ってるのを背中越しに聞いた。ただ散歩していて。平蔵が歩き始めの時にビョーン!と飛んだのがよくなかったか。そんなのはヤツ(平蔵)にはアサメシ前でござる。意味不明の行動なんて。日常茶飯事でありんすー@きくぞう風。
平蔵、「デンジャラスドッグ」の仲間入りである。確かに。出で立ちなんて。マッタク「マタギの飼っているマタギ犬」である。クマにも堂々と勝負しそうな面構えである。実際、恐ろしく性格が荒い。でもイイヤツなんだ。イイヤツだよ。んで。スグに
「平(へー)、アブナイって。お前。アブナクなーい↑?だって。普通じゃないんだよ。どう?どう?」と云ったら、へーは、「ア゛〜?」って、地方のヤンキーみたいに散歩誘導者の私にメンチを切りまして候。

2001年1月29日 ボインボインボイン…

25日、リキッドにギターウルフを観に行った。前座バンドは1組。「BLUEV」だった。
「ブルースリー」は3ピースバンドで、いきなりヌンチャクをかまして、ガムテープで補強されたギターをガキガキかき鳴らしていた。
ブルースワンがドラムで、ブルースツーがベースで。ブルースリーがギター&ボーカルくんだった。ブルースリーがどう考えても「ブルース・リー」だった。髪型と。ヌンチャクと。上半身裸(しかもブルース・リーみたく鍛えてるような腹)だから。客をどかせて空間を作り、そこに飛び込んでのた打ち回っていた。そんで、帰って行った。

ギターウルフはそのあと出てきた。でも今回はあんまりバリバリという具合ではなくて。なんだか。もっとハジケ具合がこないだの方があった気がする。
イチバンウシロで観ていたからか。「環七フィーバー」とか「サティスファクション」とか。ダイブが多く出るのはやっぱりどうでも。うお〜っとなった。ベースウルフは腰が痛そうだった。セイジは2メートル近くのスピーカーの上から飛んでいた。
アンコールではなんと!永ちゃんの「アイラビュー…オケー…」を歌っていた。ビックリした。しかもメチャクチャカッコ良かった。カッキーんだよ。セイジが。ギター鳴らしながら。あれイチバンカッチョ良かった。ギターの音も途中で絶え絶えであった。しかし、押さえるツボはバッチリ押さえていた。と思う。
ツアーTシャツを買おうと思ったが、売り切れ。欲しかったなあ。みんなイロンナバンドとかのTシャツを着ているので、そういうのを見るのはオモシロイ。例えばシャーベッツとか。DMBQもいた。

2001年1月23日 月に1度は大掃除〜♪のような気がする。

こないだロシア人と間違われた。たまにあるのだが、タイテイ「クォーターですか?」だ。ドコのハーフだと云えば、だいたいロシアとか、北欧系を言われる。なぜだろう。オージーっぽくないのか?
ピーナッツバターとかをダイエットペプシ2リットルをラッパ飲みしながら、食べてる雰囲気でないのだろうか。

中学の時に「おじいちゃんがロシア人で。実はクォーターなんだ。誰にも秘密だよ」と何人かの友達に言っていた。成人式の時にその中のヒトリに「あの時の秘密、誰にも言ってないからな」と言われた。「あ、アレ?ウソだよ。」とバラしてアタマをはたかれた。

タイムカプセルみたいだ。

2001年1月22日 とじまり〜用心〜火の用心〜1日1度は大掃除〜げんげん元気な月曜日〜♪

何かの本かな、なんかで読んだんだが、謝罪はできるけど、結局は罪っていうのは消えない。というようなイミアイのこと。なんだか、罪というか。失敗っていうか、失言とか。そういう自分の「やっちゃったー」っていうモノというのは、時とともに薄れていくもので。それにいやなこと。なるべくそういうものから離れていたいという欲求から、忘れる。という方向に行くんだけど。自分の中に汚いシミみたいにずっと消えないで残るんだという。シミはずっと消えない。それは自分の中でも、相手に対しても。薄れるけど。カンペキには消えない。以前のようにしているつもりでも。ココロに引っ掛かってくる。

2001年1月21日 マカロニが好きだなあ。カッコイイぜ、ショーケン。

「あなたはこうだよね?」とか「○○(本名)って、こうだよな?」とか。よくある。他人に自分を語られる時って。なんだ?ありゃ。「このヒト、ツボ間違えて押してるよー」っていうの。

それはきっと「グサッ」ていうコトの方が多いんだ。しかも、逢ってしばらく話してて。突然そう言うこというヒトっている。しかしなあ…。思えば、自分もきっと云ってるんだよな。例えば。酒の席でさ。云っちゃうわけ。大上段でさ。コレがまた、言ってる時ってなんだろ、スゲー分かった気になってるんだよ。「オレって…スゲーイケテル」みたいなのが。
酒の席で、キマズクなるってコトは。タタ。多々。多々ある。何度も失敗し。反省を。繰り返すんだけども。
「何アイツ、雰囲気ブチコワシー@都内の某女子大2年」、みたいなのさ。やっちゃうわけさ。でも、コレが意外に話を盛り上げたり、することもあるから。スゴク微妙なわけさ。コレが難しい。

酔ってるから。というなんとなく「ま、いいじゃん?」的な発想を。しがちなもんなんだが、コレが。コレがクセモノなんだよ。コレがさ。それを分かったのが、最近だっつーところがもう。大人じゃないじゃん?もう。ダサいわけだ。ダサい。ダサい。ダサいがダサいんだけど。

ヒトにいわれるとむちゃくちゃ腹立つ。っていう。これが。
最近イチバンなのが「○○(本名)ってぇ〜テレビっ子だよね〜」だ。
うっせ〜なあ〜!!「テレビっ子」ってなんだよ!(怒&笑)。テメーはテレビ見ねえのかよ!アホか!!「本場テレビっ子」が聞いて呆れるッつー話。
新聞の3面記事の話題出しても「テレビっ子」だよ。おまえなあ。世間一般の話しても「テレビっ子」で済むなら、テレビいらねえよ。バカ。エヴァンゲリオンの話したら「テレビっ子」だしさ。タモリの話すりゃ「テレビっ子」だしさ。お前が知らないことは全て「テレビっ子」かよ。NHKだけ観て、受信料払ってろよ!テレビや新聞その他。マスメディアからの情報は全て「俗」という観点でモノゴトを判断。差別化。「オレはーそうじゃないけどー、オレはーよくわかんねえしー」とか云うヤツ。そうじゃないヒトもいる。モチロンいるさ。ホントにウトイヤツ。でもそういうヤツも、そんでも中にはいんだよな。そう、そういうことを経験した。

そうオレは「テレビっ子」だからな。

2001年1月18日 コレがなかなか…なんだかなあ。

写真をアップしました。去年の。

2001年1月17日 グットバーイ、グットバーイ、グットバイバーイ!コレステロールよグットバイバイ!♪

昨日、PHANTOM LIVEに「DMBQ」を観に行った。ハガキが当たったのだ。イエーイ@高嶋
エレカシのライブの時は、番号がスゴイ若かったので、前方に行けたけど、今回は100番代だったので、
「ま、ゆったり眺めてやろうじゃないの!」って、柱によっかかってました。
最初に「ECHO」というバンドが出てきて、客の9.5割がDMBQファンだったため、みんなボケ〜ッと観ていた。ノリがイマイチだった。あまり聴かないジャンル(スラッシュメタルみたいなのさ)だった。で、やっとその人たちが終わって、インタビューとかされてて。そのうちに終わって、DMBQがインタビュー席に着いて。ファンもぐわぁーっとテンションが上がった。しかし、「ま反対」にいたため、モニターでチェックするはめに。現場にいる意味ないじゃん。で、増子さんは、襟が大きく開いた、「まるでババシャツのような」クロのシャツをぴちぴちに着ていた。よっちゃんは美人だった。増子さんがお気に入りの「オジー」のいかにオモロイヒトかということを力説していた。話し方が我師匠「みうらじゅん氏」に似ていた。
赤いサングラスをかけて、髪の毛を切っていた。そんで、ライブ。始まる前から「コレ…ババシャツだって言われるんですけど」ってしきりに気にしていた。そんで、ライブがはじまって。ぐわ〜っと盛り上がった。テンションイキナリ振り切れた。おしおし。

で、3曲終わった時に「今3曲やったわけですけど…分かったことがヒトツだけある!コレは・・・下着ですよ!!」と増子氏。保温性が優れていて、メチャクチャ暑いそうです。わははは。おもしろーい。ま、鼻の穴に指を突っ込んだりして、そのまま次の曲へ。最後にはギターを下ろし、ダイブ禁止!と云われた観客に向かって、そのまま増子氏ダイブ。オミコシ状態(わ〜っしょい!わ〜っしょい!)で、ステージに。
そのあとも、コードがいっぱい乗っかってるところに捕まって、ブラーンブラーン…そのままこっちに飛んでくるかと思ったけど、大丈夫だった。で、シロメ剥き出しのスゲー顔で、マイクを口の中に入れて「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛〜!!!」と何度もやっていた。
演奏も放送中に終わるかなと思ったけど。なんとか切り上げた。最後にドラムセットに突進して、ドラムセットがボカーン!という具合で、バラバラになっていた。よっちゃんは笑いながら、増子氏を起こしていた。宮本の暴走とはまた違った感じで。なんか、クロのババシャツ(下着)着てるボーカルがドラムセットに突っ込んでるのを観ても、爆笑である。で、パタっと終わったら、急に素に戻って「ありがとうございました」と言った。もう終わっちゃうのかぁ。もっとやって欲しいなあ。モニターに流れていた、PVは2曲。ヒトツは「turtledove」でもうヒトツは「Boom-run Rock」だった。どちらもかっちょ良かった。
やっぱライブだよなあ。面白かった。ファントムのリピート放送は、要チェックや!@スラムダンク

2001年1月9日 おっ…くん…です。

昨日、東京ドームにて、THE YELLOW MONKEYのメカラウロコ 8 を観に行った。
東京ドームは開演前から、観客で震撼していた。地面がグラグラと。大気はビリビリと電気が走っていた。
およそ55000人の聴衆は、皆ソレゾレ、イロンナ想いでイエモンの今を待っていた。その瞬間を。

オンナタチの絶叫とも悲鳴とも云えるその声タチの渦の中、4人は現れた。
まるで電光石火。まるでイナズマ。である。
ベースの音が聞え難かったが、途中から大丈夫だった。彼らの演奏はうーむ…と唸ってしまうくらい、素晴らしく、ステキであった。何度唸ってしまったことか。メチャクチャカッコイイワケです。

なんと云っても、そのゴージャスさが、イエモンである。なんともゴージャスで、サイケデリックで、ロックンロールな4人である。惜しみなく繰り出される演奏。極上なサウンド。ド派手な衣装、ヴォーカルのメイク。様々に移り変わるライト。右へ左へ。広いステージをメンバーが歩きまわる。まだまだまだ…まだ足りないぞ…と客を煽る。全てが。余裕の投げキッス。55000が1コのグルーブになって。温帯低気圧のようにグルグルと。その思いがまわる。あのデカイ東京ドームがはじけそうだった。ハードでソフトで。ロックスター。
これぞ「ROCK STAR」である。

演奏以外でも観客を魅了し、溜息をつかせる。一挙手一投足が悲鳴なのだ。隣の女子なぞは、絶叫したかと思えば、何かに取り付かれたかのように踊り狂い、共に歌い、悲鳴をあげ、顔を両手で塞ぎ、オイオイと泣き崩れる。ステージからこんなに遠いのに。
彼らの魂が全身で震えているのだ。それに共鳴して、共棲して、震えてしまう。オーロラビジョンに映し出されるロビンの顔。ココロを持っていかれた。
リストの曲は意外にもアルバム「8」からの選曲が多数を占めた。今のイエローモンキーがココにはあって、それを聴いていられる。この空間に存在してるんだなあ。と思った。

ギター、ベース、ドラムの上に、ロビンの声は恐ろしいほど、美しく滑り、舞っている。
「TVのシンガー」を聴いた。細胞が起き始める。「JAM」を聴いた。イントロから涙である。「パール」である。胸の中が掻き毟られる。1曲1曲、歌詞の一文字も。丁寧に、練り上げていく。丁寧に。実に丁寧に。魅せるのだ。

終演も実に美しく、カンペキであった。
名残惜しいが、願いを込めて。「ライブ、楽しかった。また行きたい。」

2001年1月7日 夕方から、雪が降ってます。初雪観測。うう・・嬉しい。雪だあ〜!!!!何センチ積るんだろうなあ。

交通機関が麻痺しちゃって。大パニックにならないかなあ。あ。でもそうすっと、イエモンのコンサートに行けなくなるので、困るな。止まるなよー!中央線!!吉祥寺とかで飛び込み自殺とか、すんなよー!!

福岡のタビの写真が。できた。そんで、イチイチ「これがこうでね…」と言いたいので、こないだの福岡の簡単なタビ感想に添って写真を載せたいと思う。一部手直しがあるかもしれないが。コレから、手を加えます。そのうち。

2001年1月5日 平井堅は歌が上手いなあ。

久し振りに泳いだ。2週間振りくらいだ。最初、筋肉が「え?ちょっと待って!」とビックリしているようだった。が300、400とやっていくうちに思い出したかのようにしなやかに(?)その機能を果たしていた。ココチヨイ疲労感。水の中がスキだ。

21世紀、初のエレファントカシマシのコンサートは皇居の傍らにある日本武道館で1月4日。行われた。
新世紀。エレカシの日本武道館を見なければホントの正月はこないといった感覚にまでなってしまった。3年目である。

初めてみたエレカシが3年前のブドーカンであった。スピリッツのプレゼントで当たったチケットで観に行った。1階席であった。1発目は奴隷天国であった。今回はそれ以来のスタンド席であった。石君寄りのイチバン右端のブロックであった。客電がフッと消え、ダラリと現れた4人は
「good-bye-mama」からはじまる今ツアーのセットリストを、淡々と。しかし、かなりロックしながら、燃えていた。石君のギターが良くキコエタ。成ちゃんのベースが脳の奥の方で振動した。トミのバスドラが内臓の細部まで響き渡った。気になっていた宮本のMCも今回はどうでもよくなっていた。気にならない。なんといっても「武蔵野」は圧巻であった。ギター、ドラム、ベース、ヴォーカル、の「ガップリヨツ」になった演奏は1つのうねりとなり、武道館の頂点で緩やかに回転をしていた。ドレモミナ、最適な環境で。「武蔵野」は良かったなあ。

珍奇男の時のトミの上腕二等筋が照明で青と赤に染められている。この時は21世紀よ、ありがとう。と思った。双眼鏡から見えるトミはまた一段と「おっとこまえ」であった。Tシャツのそでをメクル姿も拝見した。
アンコールではプラスアルファで「デーデ」「星の砂」「赤い薔薇」をやった。ライブで観る「デーデ」から「星の砂」の流れはどんな場面でもカッチョいい。ダイスキである。

最後のガストロンジャーでは客席に向かって「おまえ正直言って日本の現状をどう思う?」と問い掛ける。「中華人民共和国の現状をどう思う?」とも言った。

そしてコールアンドレスポンスであった。ガストの時点で上半身裸にした石君のギターを取り上げ、頭の上でクラップしろと要求。石君はそれに従う。
それでもまだ足りないのか今度はトミのドラムの前に立たせてそこでクラップやれと要求。石君、これにも従う。ニタニタしてるわけでも、はずかしそうだか、別段。ショッカーに捕まったチビッコが言うところの「やーめーろーよー!よーせーよー!はーなーせーよー!」といった感じでもなく。やっている石君。さらに自分のベルトを外した宮本はSMプレイヨロシク「石君ナブリ」。なんだか、スゴイヘンな空間だった。コレはコレでかなり爆笑できたのだが、なぜか愛しい(カナシイ)。「悲しい」ではなく「愛しい」のだ。

「コールアンドレスポンス」を「キンピカレスポールで激烈アタマ振り乱しの石君」を観たかったなあ。残念である。シェルターの時の石君なんて、それはそれは「スゴイ激烈ギタリスト」と化していたし。それが宮本のねらいなのか。狙ってやってんのか。この人は。コノ「スゴクカッチョイイヒト」は。天性のカンなのだろうか。イジワル剥き出しである。性根ワルさ全開バリバリである。最後の最後でドラム台(っていうの?)から引きずり降ろし、石君を四つん這いにさせる。その上に自分が乗っかって(寝転んで)絶叫する。

2時間弱のライブであった。今世紀もこの「イカレタバンド」にイカレて懲りもせず、ライブに足を運ぶのである。

2001年1月3日 8区を走っていた順天堂のサカキエダ!!おまえはみんなに嫌われているだろう!!

ニンゲン、3日もダラダラしていると、ココロとカラダのバランスが崩れていく感じになる。ニンゲンだからではなく、私が「日本人」だからなのかもしれない。
何もしないで、ダラダラしていたい。という願望はいつもあるのに、そのくせ。いざダラダラしていると、「…ウ〜ム…な、なんだか…ナニカしなくては…ナンカとてもムダな感じだぁ…」と意味もなくストレッチをしたり、チャリでいつも行く古本屋に歩いて行ったりして「充実ッ!」と満足している。グッと握り拳を突き上げたりする。僕は何て安上がりなんだろう。

「ニンゲンとはなんだ?」

なんだかそんなことを散歩をしながら思った。ニンゲンらしいではないか。暇人らしい。正月らしいじゃないか。
生きてるうちにはイヤだな。とか。悲しいな…という「マイナスな」ほうが7割くらいある感じがする。8割かな。

挫折や敗北、裏切り。憎悪。悲しみはいつまでも。どこまでも続く。単調で、つまらないことの方が生活らしく、生きている実感がある。陰口や、愚痴をダラダラ垂れ流す方がニンゲンは楽である。一瞬は楽しい。

でもやはり、あとの2割を「明日があるさ」という希望や願望や渇望に。喜びや、憂いや、尊敬や感謝に。そういう「プラスな」。そういう2割を求めて。毎日がある感じがした。笑顔を浮かべるよりも、泣いて、涙を流すことの方が、生きていると実感できるのだ。生きてることを喜んでいるのかもしれない。
涙の先に「そういう2割」を感じてるのかもしれない。一般的にみんながどうなのかは知らないが。私だけかもしれないが。そして。

そして。決して死から目を背けてはいけないのだろう。死をココロにいつも感じながら。死を受けとめる器量を。命が消える瞬間に。あなたはしっかりと。その意味を受けとめるだけの毎日を送っているだろうか。なんと単純な作業であろうか。しかし。しかし、なんと難しいココロの作業なのだろう。

あなたは持っているだろうか。あなたは死を恐れないだろうか。私は死ぬのが怖くて仕方がない。死にたくない。恐ろしく、できたらこんな事は考えずに。どこかに忘れて。アッパラパーで生きていたい。
できるのなら。できたら、ずっとこうして。どうでもいいことをやっていたいのだ。あなたは幸せだろうか。私はまだ大丈夫だろうか。なぜ人は死ぬのだ。なぜ死ぬために生きるんだろう。


…えーと、だから、つまりは…え〜…ま、いいや。どうでも。
まどろっこしく。しかもなんだか堅苦しい話になってしまいましたが、今年もダラダラとこんなことをしていきたいと思います。そして、明日は生きていると実感をする為にエレカシのブドーカンライブに行きます。